黒田 涼と江戸を歩く -13ページ目

慶応病院の軍駐屯地土塁と柱、壊されてました

戦後も70年。旧軍の遺跡などは残っている方が珍しいのですが、その一つがまたなくなりました。

JR信濃町駅前にある慶応病院は軍用地だった場所を慶応大学が1920年に買って、移転してきたものです。
ほぼ100年ですね。

それ以前、病院の敷地には1885年(明治18年)から輜重兵第一大隊が駐屯していたのです。
軍用地となったのはさらに前、1873年(明治6年)からです。

輜重兵とは輸送部隊のことです。
しかし明治時代にはトラックなどありませんから、馬と人力で物資を運びました。

駐屯地は土塁で囲まれていたのですが、その一部が今も残っています。
また外苑西通りに面した民音博物館との境界には、「陸軍省所轄地」と書かれた石柱と軍時代からあると思われる土塁の一部、また軍時代からかもしれない出入り口の門柱がありました。

このうち土塁と門柱が壊されているのを見つけました。
残念です。

写真は上がかつての土塁跡、門柱、石柱で、下が壊されたあとです。

慶応病院では現在、2017年の医学部設置100周年に向け老朽化した病院の解体・新築工事が行われています。
そうした工事の一環なのでしょう。

さすがに旧軍の石柱は残されました。





周りがさっぱりして目立つようになりましたが、 ちょっと心細げに見えるのは私のひいき目でしょうね。