旬編小説・270「イヤ~ん!」 | 江戸川静の写真つき旬編小説

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「最近、耳が遠くなっちゃって」

石倉和文が小杉医師に呟く。彼は約10年前に軽い脳梗塞をやって以来、2ヵ月に一度のペースで診てもらっている。小杉医師は石倉に向けかけた視線を血圧計に戻し、明るい声で数値を読み上げた。

「上が132!見事にコントロールされていますね。ご両親に感謝です。……で、耳はどんな具合でしょう?」

石倉は答えを期待していたわけではないが、神経内科が専門とはいえ博識の小杉医師のこと、耳についても参考になるアドバイスをもらえるのではと思った。

 

「さっきも自分の名前を呼ばれたと思ったら別の人で……」

「私がお呼びする声、小さいですかね?高さはだいたい500Hz(ヘルツ)で、スピーカーのボリュームは40㏈(デシベル)前後に設定してあるんですが。それが聞こえないとなると、やはり軽度の難聴の疑い……あ、これはあくまで目安ですから。えー、ちょっといいですか?」

小杉医師は石倉の耳元で親指と中指を“シュッ!”とこすり合わせた。ジャズシンガーなどがやるフィンガースナップに似ているが、いわば音の出ない“指パッチン”だ。

「これ、聞こえます?3,000Hzくらいだと……」

「いや、全然」

小杉医師は「ご存じだと思いますが」と前置きし、ヘルツは1秒間に振動する波の回数(周波数)で、デシベルは音量だと説明した。

 

小杉医師がデスクの引き出しから、ステンレス製らしい小型の音叉を取り出した。木槌で軽く叩くと、“クォ~ン~~”という心地よい音が診察室に響いた。

「どうでしょう?」

「あ、はっきり聞こえます」

「そうですか。この音叉は1,000Hzですが、999Hzはリラックス効果がある、と言われていますからね。なんでも加齢とストレスで片づけるのもどうかと思いますが、やっぱり70歳近くなるとどうしたって……。石倉さん、見た目は私より若いのにねえ」

50代半ばの小杉医師は派手に後退した額を撫でながら、少し同情するような目で笑った。後ろでは美人看護師が微笑んでいる。

「先生、どうして音叉があるんですか?」

「これ?骨に当てて糖尿病の進行具合を調べたり、脳外科の感覚検査で使うんですよ。……それにしてもこの際、耳鼻科で診てもらってはどうですか?なんなら紹介状を?」

「あ、まだ今のところ」

 

「わかりました。あ、それから25とか30というテレビのボリュームね、メーカーごとに基準が違っていて、同一メーカーでも種類によって違うみたいです。統一すればいいのに……。次回は血液検査ですね。ではお大事に!」

小杉医師はマスクの紐を直しながら、次の患者を呼ぶ態勢に入っていた。

 

それから数日後。石倉はまた妻の啓子に注意された。

「ねえ!テレビの音、もう少し小さくしないとお隣に聞こえちゃうよ」

「まさか……」

とは言ったものの、彼には完全否定する自信がない。実は今朝のことだ。電気シェーバーを左頬に当てたときに音が消えた。1年も使っていないのに故障か?だがそうではなかった。もともと静かな回転音が特長で買ったシェーバーの音が、左耳ではまったく聞こえなかった。耳が遠くなった自覚はあったが、ここまでとは思っていなかった。

 

――漠然とした不安が広がる。

小杉医師の「クレーム電話を聞き続けていた耳だけが、突発性難聴になることもある」とか、「難聴の治療は早ければ早いほどいい」や、「難聴が原因で認知症のリスクが高まる」という

話が、にわかに現実味を帯びてくるようで……。

 

その日、石倉は駅で電車を待っていた。

「2番線に上り電車がまいります……」のアナウンスは聞こえたが、左方向から聞こえるはずの“カン、カン……”という踏切の警報音がまったく聞こえない。そこで右耳に手をかざしてみると、かすかに聞こえた。彼は銀行へ行く前に病院に寄ることにした。携帯で探した“三上耳鼻咽喉科医院”は、最寄りの駅から2分もかからなかった。電話番号の“3387(ミミハナ)”が笑える。

 

50代の後半だろうか。なんとなくクセの強そうな三上院長は、黒縁メガネ越しに鋭い視線を走らせ、石倉の全身をスキャンした。

「いやー、どうしました?」

「どうも耳が遠くなったみたいで。さっきも踏切の警報がよく聞こえなくて……とくに左が」

「いつぐらいから?」

三上院長は事務的に訊く。何万回も同じ質問をしてきたのだろう。

「40歳ぐらいのときに健診で引っ掛かったことがあるんですが、自覚したのは去年ぐらいからでしょうか」

 

「ではね、とりあえず吸引してみましょう」

細いチューブが石倉の左耳に挿入された。“キュル、キュルルー”と耳の穴を強く吸われながら、彼はこれほど荒っぽい方法が一般的なのか、たいした診察もしないで「とりあえず」やるとは無責任すぎるのではないか、などと考えていた。

 

吸引による痛みは感じられなかった。いわゆる美魔女タイプとは違うが、昔はさぞやと思わせるベテラン看護師が、吸い取られた耳垢をパッドの上に置いて、「はい!」と差し出した。戦果とでも言いたそうな、得意げな表情だった。三上院長も「いやー、こんなにたくさん」と驚く。右耳は左ほど多くはなかった。しかし石倉はその“効果”に驚かされた。

「先生、左耳がさっきよりよく聞こえます」

「いやー、それはよかった。これだけ耳垢が溜まってちゃあ」

「毎朝、必ず掃除してるんですけどね。何十年も」

「毎朝?何十年?それはダメだよー」

「ダメなんですか?」

 

三上院長は呆れたような顔をしている。

「耳垢っていうのは自然に出てくるようになっているので、原則として耳かきは不要なんです。やりすぎると耳の中が傷ついて痒くなる、だからまた耳かきをしたくなる、炎症を起こすと痒みが増すから、さらに強くやる、耳垢がどんどん奥に行く、その繰り返しになるから」

また耳垢の成分は主に脂肪とタンパク質の混合物で、虫やほこりの侵入を防いだり細菌の増殖を抑えてくれるから、決して汚いものではないと力説した。

 

「さ、では内視鏡で耳の中をチェックするので、そこに横になってもらえるかな?」

三上院長はアゴでベッドを示した。フレンドリーとはまったくの別物、いくら医者でも失礼極まりない。偉そうに!かつての石倉なら椅子を蹴ったかもしれないが、背に腹は代えられない状況だった。内視鏡には小型のデジタルカメラがついているようで、モニターに画像を映すのかと思ったが、ものの30秒ほどで検査は終了した。

 

そして三上院長は信じがたい話をはじめた。

「実は……あの虫が一瞬だけ見えたんですが、すぐに鼓膜の向こうに消えてしまって」

「虫?」

「いやー、たしかにクモとか綿棒の先っちょなんかが見つかることはありますが、どう言えばいいのか……実際は虫のような姿をした細胞?というかサイボーグというんでしょうか。色も形も変幻自在というのをいいことに、なかには面白がって“ビリケン”とか“精霊”に似ているなんて……。親しみを込めて“ミミッチ”と呼ぶ研究者もいます」

三上院長の言葉遣いが心なしか丁寧になっている。

「ミミッチ?耳だからですか?なんか“ゆるキャラ”みたいですね」

石倉は後悔していた。――この医者、大丈夫なのか……。

 

カメラを確認していた三上院長が、吐き出すように言った。

「くそ!耳くそ!やっぱり何も写ってない。見間違い?いや、絶対にいた。推定100分の2ミリだからなのか?それにまず外耳道までは来ないから、顕微鏡撮影も無理、つまり実在するのを証明できない。あー、世紀の大発見だったのにー!」

 

三上院長は診察待ちの患者がいないとわかると、棚の上から耳の模型を降ろしてきた。部分ごとに取り外しが可能になっている。カラフルで子供のおもちゃみたいだ。

「デヴィッド・リンチの映画で“ブルーベルベット”、ご覧になったことは?草むらに落ちていた耳を拾うという、ショッキングなファーストシーンで……」

耳の模型で思い出したらしい。

「いえ、ありませんけど」

「みんな、耳のことを知らなすぎますね。いつでもネットで調べられると思っているうちに、ほとんどの人が忘れちゃうんですよ。ではまず簡単に構造を……」

 

さすがに専門医だけあって、院長は滑らかな口調で説明をはじめた。

「まず耳の縁のところは“耳輪(じりん)”、耳たぶが“耳垂(じすい)”と言ってもご飯を炊く自炊ではなく、その内側が“耳殻(じかく)”で迷走神経が分布してるから、こちょこちょやると気持ちよくて、ツボが100ヵ所以上もある」

 

三上院長はボールペンを特殊なピンセットに持ち替えて続ける。

「この先が“外耳道(がいじどう)”という音を共鳴させる細道で、自浄作用のためにたくさんの“線毛(せんもう)“が生えている。そして突き当たりが薄暗い個室?ではない“鼓室(こしつ)”、ここには“鼓膜”や連結した三つの小さな骨がぶら下がっていて、ほら!この一番奥の

“あぶみ骨“から22倍に増幅された音が、リンパ液で満たされた”蝸牛(かぎゅう・かたつむり管)”に伝えられ、空気の振動である音波が電気信号に変換されて脳に伝わる……というわけです。つまり耳の奥は脳、脳の反対はイエス!冗談です。いやー、それにしても幻の”ミミッチ”を

見られるなんて」

 

三上院長はかなりハイになっているようだ。

「石倉さん、この部屋を見て何か気づきません?」

「……?」

「あそこに椅子が幾つありますか?」

「えー、3脚ですか」

「はい。あの椅子は“耳小骨(じしょうこつ)”のつもりです。手前から“つち骨”、“きぬた骨”、“あぶみ骨”。それにこの部屋に入るときに、何か感じませんでした?」

石倉はドアのあたりを振り返った。

「あぁ、あそこの仕切り?楕円っぽいビニールの……」

「そうでしょう。食品工場じゃあるまいし、コロナ対策でもありません。……鼓膜です!」

石倉がふと奥のテーブルを見ると、カタツムリ型の照明スタンドがある。そう言えば廊下に妙なカーペットが敷いてあった。病院の床といえば塩ビやリノリウムが多いのに、そのカーペットは毛羽立っていた。まさか聞いたばかり……外耳道の線毛か?

 

三上院長は満足げな顔で頷いた。

「おわかりですね。ここはそのまま耳の模型なんです。カタツムリの近くに“耳石(じせき)”も……」

たしかにカタツムリを白い砂が取り囲んでいた。耳石の成分は炭酸カルシウムで、ひとつが1,000分の5ミリほどらしい。それに廊下に置いたルームランナーは、外耳道の皮膚の象徴だという。できれば動く歩道のようにしたかったらしい。鼓膜の表面で作られた外耳道の皮膚は、爪と同じようにゆっくり手前に移動しながらはがれ、最後は耳垢となって自然にこぼれ落ちるという。――石倉は“狂気”の2文字を飲み込んだ。

 

「では聴力検査をしましょう。花井さん、よろしく!」

三上院長はモニターを見つめたまま言った。あの看護師は花井というらしい。鼻、いい……か?

聴力検査は彼女の担当だった。石倉はひどく狭い防音室に入れられた。息苦しさを覚える。花井看護師は「音が聞こえたらそのスイッチを押してください」と言ってドアを閉めた。聴力テストは“気導受話器”、骨伝導は“骨電受話器”というヘッドフォンを装着して行う。石倉は花井看護師が操作するオージオメーターから届く“ピー、ピー”や“ポー、ポー”の音を、目を閉じて懸命に聞き続けた。花井看護師は絶妙な音量で責めてくるが、ときどきリズムが単調になるので、聞こえていないのに思わずフライングすることもあった。

 

三上院長はプリントアウトされた表を眺めている。テスト結果の資料は縦軸にレベル(㏈)、横軸が周波数(Hz)のグラフだった。見てもさっぱりわからない。

「いやー、これですと軽度と中度の真ん中、“軽中度難聴”ですね。日常生活にも少し支障が出るレベルなので、早めに補聴器を使われたらと思います。補聴器、ご紹介しますよ」

「あ、それはまだ……」

「そうですか。では必要になったときはご連絡ください。それより石倉さん、いつか改めて再検査させてもらえませんかね?休診日か診療時間外にでも……”ミミッチ”の」

「……」

返事に窮する病院嫌いの石倉と、再診を懇願する三上院長の沈黙が流れる。そこへ花井看護師が来て「あなた……あ、先生!昼休みです」と小声で告げた。――さては夫婦だったか。

 

一瞬、バツの悪そうな顔をした三上院長だが、ここぞとばかり畳みかけてくる。

「いやー、今日は珍しくほかの患者さんがいませんので、2時間近く休憩が取れるんです。もしよろしかったら、お昼を一緒にいかがでしょう?」

「そうなさいませんか?サンドイッチですけれど、お嫌いでなければ。何か出前をお取りしても……」

三上の想いをわかっているだけに、妻もさりげなく圧をかけてくる。おかしな展開になってきた。万が一、怪しげな薬でも飲まされてはたまらない。しかし石倉の好奇心は、恐怖心を上回った。父親の代から地元で続く病院、というのが決め手だった。それにテレビ番組ではあるまいし、他人の家で食事をご馳走になるなんて、人生で二度と経験できないだろう。

「はぁ、では……」

三上院長夫妻の顔がパッと明るくなった。

 

石倉は妻の啓子に「精密検査で遅くなる」とメールを入れた。家を出るときに「昼には帰る」と言ってあった。念のために病院の情報も知らせておいた。彼が通されたのは二階のリビング。ごく普通の造りだったので安心した。テーブルにはサンドイッチと温かいスープが用意され、かすかにクラシック音楽が……。この二人、意外に常識人かもしれない。

 

石倉に夫婦だと知られた二人は、すっかりリラックスしている。三上院長は花井看護師に「のんちゃん、もう少しボリューム上げてくれない?」と頼むと、石倉に再び語りはじめた。内容はほぼ講義に近かったが、想像以上に興味深いものだった。たとえば“ソルフェジオ周波数”という9種類の音階についてだ。なかでも528Hzは“奇跡の周波数”や“愛の周波数”と呼ばれていて、破壊されたDNAを修復する効果があるらしい。今、流れている曲がまさに528Hzたっぷりの曲だった。

 

70代男性の半数は難聴になるらしい。加齢性難聴の主な原因は、蝸牛にある感覚細胞や、音を脳へ伝える神経細胞の減少だという。人間の細胞は38兆とか60兆個と言われているが、蝸牛には片耳に15,000個の有毛細胞(センサー)があって、加齢に伴ってその毛が抜けていくので、音をうまく脳に伝えられなくなる。残念なことに抜けた毛は二度と再生しない。高音を感じる毛は入口近くにあるのでダメージを受けやすく、老人は高音から聞こえなくなるというわけだ。だから低い声で悪口を言ったりすると、聞こえてしまうことがよくある。近年は有毛細胞を再生する研究も進んでいて、マウスやヒトでの成功事例も出ているらしい。三上院長は「人類にとっては喜ばしいことだが、私や補聴器業界には耳の痛い話だ」と笑った。

 

サンドイッチがなくなると、三上院長はようやく本題に入った。

「先ほどはちょっと大げさでしたね。本当のことを言うと“ミミッチ“って、わからないことだらけなんです。まともに信じている人は少なくて、趣味とかお遊びですかね。UFO愛好家みたいな……。私が”ミミッチ“に夢中になったのは、最初の発見者が親友だったからです。同じ大学だった三隅っていう男ですが、妹さんの耳を観察していて……。”ミミッチ“の名付け親ですよ」

ここで“のんちゃん”が口を挟んだ。

「三隅さん、元気なのかしら?」

 

三隅が“ミミッチ”の研究結果を発表しようとしたところ、学会関係者から猛反発にあって潰され、それからしばらくして三隅から“ミミッチ”の資料が送られてきた。

 

そんな内輪話を聞いているうち、石倉の不安は消えていた。それに三隅のことと同じくらい、“のんちゃん”が気になる。

「失礼ですけど、奥さまのお名前は……」

花井看護師は空中に指で字を書きながら答えた。

「平和の“和”に香水の“香”で、“のどか”です。読めない人が多くて……」

三上院長が嬉しそうに補足する。

「私と一緒になったから“ミカミノドカ”……。名前にミミとノドが入ってね、これぞ耳鼻咽喉でしょう。花井のハナは残念だったけれど」

 

「三隅さんもミが二つだったね」と、妻が軽く混ぜ返す。

「それはともかく、三隅の資料にも“ミミッチ”の写真は一枚もなくて、落書きのようなスケッチがあるだけで、しかも“ミミッチ”からダイレクトに情報を受け取った、と書いてあったんです。これでは信憑性を疑われても仕方がないし、変人扱いも無理ないかなと……。また“ミミッチ”は増殖するのはもちろん、“自分”の意思で姿を変えて移動したり、たびたび脳へ違う音を届けるなんて、誰が信じますか?」

 

「これ、三隅からのメールです」

三上院長は神妙な顔で古いガラケーを見せた。

「読んでみますね。『何もかもうんざりだよ。俺は耳鼻科の医者には向かないみたいだ。“百聞は一見に如かず”っていうぐらいで、もともと耳は目に負けてるんだし、彼女に振られて恋愛でも歯医者(敗者)になっちゃった。初めて白状するけど、俺の耳にも妹の“ミミッチ”が棲みついていて、ダジャレは“ミミッチ”の仕業なんだ。ある言葉を聞いた途端、自動的にダジャレに変換されたり、まったく別の言葉になったりする。誓って嘘じゃない。三上だけは信じてくれると思ってる。しばらく海外にでも行って川のせせらぎや鳥のさえずり……1/fゆらぎでも聞いて過ごすつもりだ。美味しい耳鼻……ジビエ料理でも食ってさ。♪恋人に振られたの~よくある話じゃないか~。日吉ミミって歌手、いただろ?実はそれで“ミミッチ”なんだ』……と、まあこんな感じです。これ以来、連絡が取れなくなって……」

 

三上院長は「簡単には信じられないでしょうね」と、ため息をついた。その後、コーヒーを飲みながら、再び音の話がはじまった。男性の声は平均で約500Hz(ヘルツ)、女性は1,000Hzだが、老人が聞きやすいのは3,000~4,000Hzで、ちなみに赤ちゃんの泣き声が3,000Hzだという。石倉が聞こえなかった踏切の警報音は、700Hz前後など……。それに日本人には英語のEAR(耳) YEAR(年)の発音が難しく、何度も練習しているうち、「いやー」というのが口癖になってしまったと苦笑した。なお三隅の研究によれば、“地獄耳”と言われる人の耳には、高い確率で“ミミッチ”がいるのだとか。また“内なる声”にも“悪魔のささやき”などにも関係していて、“ミミッチ”が聞かせているのに、当人は自分の判断だと勘違いしていることが多いとか。

 

三上院長は壁掛け時計に目をやった。

「石倉さん、最後につかぬことをお訊きしますが、ダジャレとかは得意な……?」

「ま、得意なほうでしょうか。言わないと気がすまなくて……。さっきも人間の細胞は難聴個?60兆個なんて考えていました」

「やっぱり。三隅の説は間違っていなかった!」

 

石倉は言われるままに次回の予約をして、浮かない気持ちで駅に向かった。

昨夜、雛人形の箱から声がしたのは、“ミミッチ”による幻聴だったのか……。

 

その頃、花井看護師は夫の三上に、こんなことを言っていた。

「あなたの“ミミッチ”、今日はずいぶんご機嫌だったみたいね」

 

 

〇3月3日は“耳の日”、”雛祭り”です。

※石倉和文は2012年9月以来、12年ぶりの登場でした。

 

【end

 

◎メイン写真:生後5ヵ月の第1親友(来月は中学生)……

・上段写真:耳鼻科の医師/防音室から見たオージオメーター/気導受話器

・下段写真:内緒話をする雛人形/耳かき/韓国ドラマ“耳打ち”イ・ボヨン主演DVD