9/27 東京新聞の朝刊から | 寝る子は育つ 江戸駄菓子

9/27 東京新聞の朝刊から

今日の朝早く

いつもお世話になっている…というか、私が兄の存在と勝手に思っている 林家たい平師匠 からメッセージがありました。

「今日の東京新聞にお母さんのこと書いてるから…」

 

師匠には、困ったときの師匠頼み的に、いろいろと相談にのっていただき、良きアドバイスと激励を頂戴しておりまして それは、それはお世話になりっぱなしの関係でして

 

早速、東京新聞を買いに走りました。

 

コラムを読んで、ふと、思い出した感覚があったので綴らせていただきます

 

師匠が入門された当時、まんねん堂は林家一門のすぐそばに菓子屋を開いておりました。

実は菓子屋の前は同じ場所で本屋をやっていて、その本屋時代にも高校生だった正蔵師匠がジャズの専門書を取り寄せたり、お弟子さんが落語の本を買っていったりと贔屓にして下さいました。

わけあって本業の菓子屋に鞍替えしてからも、菓子のご用命をいただくことが多く

新しく入門された方を海老名家の方が紹介に来てくださることがありました。

「今度入った○○平です」といった感じだったと思います。

ある日、先代である母が店から帰ってきて

「今度ね、林家さんに入った たい平 って子ね。あの子、絶対に伸びるよ!!」

と興奮して話してました。

「私はね、あの子が真打におなるときに菓子作ってあげるんだ…絶対に」

とそんな先の話までしていたのを今でも覚えております。

 

当時、高校生だった私は「何言ってんだか…」くらいにしか思ってなかったと思いますが

たい平君(当時)が来店するたび

「あの子ね、ムサビなんだって、まったく、大学行かせてもらって、落語家なんかに…親泣かせだよ」とか

「目がね、キラキラしてる ほかのお弟子さんとはまったく違う…」とか

それはそれは、当時から随分とかっていたのでした。

 

でも、それを聞かされる私としては、どうもあまり気分は良くなくて、しかも師匠とは年も比較的近かったからかもしれませんが

出来の悪い息子の代わりに、出来の良さような息子(師匠)ができたような感じで
どうなんでしょうか…今思えば、嫉妬だったのかもしれません。

ですので、若いころの私的には○○平さんは好きでも、たい平さんは…みたいなところがあり

 

「今度、たい平くんの会があるから行かない?」と勧められても 「いかない…」 といった感じでした。

 

でも、いつでしたか
ひょんなことで、たい平師匠の「芝浜」の会に一人でいくことがありました。まだ小さい会場でした。

芝浜は人情話の大ネタです。正直のことろ、若い落語家がやるもんじゃない…くらいに思いながら見に行ったと覚えてまして…

 

しかし…

 

初めて落語でグスンとして、

終わったときには、すっかり…師匠の…大ファンになっていたのでした。

 

それから、齢をとって、師匠の落語会に行くようになると、たい平師匠の“ひととなり”がわかり、師匠にますます魅かれていったのです。

 

あれから何年もたちますが、母の言っていたことが現実となり、いまや押しも押されぬ人気ですが

これだけ有名になった師匠ですが、今も昔もまったく変わることなく、昔と同じように目をキラキラさせて、昔と同じように接してくれます。

こんな人、他ではいないでしょね…スゴイことです。

 

そんな師匠は今週末、「東北みやぎ復興マラソン」を走られます。あくまでも個人参加でのエントリーで、東北のために、宮城の復興のために、笑顔を届けられたらと、ただただその想いで42.195kを走られます。私としても、その気持ちに同参して、最後まで笑顔で走りたいと思っております!

 

 

師匠の芝浜の会が今年も開催されます。そく完売のチケットです~

詳しくは夢空間 http://yume-kukan.net/