私がローラン・プティの死を知ったのは仕事中、ふと時間の確認のためにケータイを確認した時、液晶に流れたプティ氏逝去の文字だった。

 プティと言っても、他にもプティと言う名の人はいるはずなので、まさかローラン・プティの事では無いだろうと思った。

 つい3ヶ月前の4月にもフジテレビの目覚ましテレビで、周防監督、草刈民代主演のバレエ映画『ダンシング・チャップリン』の宣伝の時に、振付を担当していたプティが元気そうに、映画の撮影中の周防監督に駄目出しをしていたからだ。

まだお元気なんだなとホッとしていた矢先の突然の訃報だった。

 今年7月10日の事。

 

 実に300年以上の歴史を誇るパリ・オペラ座バレエ団の歴史の中で、もっとも華やいだ20世紀中葉から活躍し、バレエ史に、その名を燦然と轟かせるプティ。

 

 19世紀初頭にフランスで大きく花開いたバレエは、19世紀後半になるとフランスでは一時停滞する。度重なる政変や戦争などによりフランスが疲弊した事と、バレエダンサー達が一部のブルジョアの愛玩になりさがったためだ。他にもパリでのオペラブームが背景にあるかもしれない。  

 変わりに、フランスに強い憧憬を持つロシアのサンクトペテルブルグでバレエは脈々と受け継がれる。当時、ロシア宮廷内では、フランス語が話されたほどフランスへの憧憬は強かったと言う。

 20世紀初頭にディアギレフやニジンスキー率いるバレエ・リュス(リュスとはロシアの事でロシアバレエ団の意)がパリで公演を行い、一大センセーショナルを巻き起こす。ここには既に近現代の革新的な音楽に、さらに革新的な振付がなされる。絵画の世界ではピカソが評価された時代であるから、バレエも少々奇怪な物が演じられた時代。

 

 そして1929年には、バレエ・リュスの最後のスター・ダンサー、セルジュ・リファールがパリ・オペラ座バレエ団のエトワール兼芸術監督に就任し、数々の改革を行いパリ・オペラ座バレエ団を再び活性化させる。そのバレエ団から登場した才能がプティであった。

 

 ダンサー時代には既にスジェに昇進していたので、ダンサーとして将来を嘱望されるも、その才能は振付の分野で目覚しく1944年には自身のバレエ団、バレエ・デ・シャンゼリゼを結成するためにパリ・オペラ座を退団している。プティ19歳の頃。

 ディアギレフと親友だったジャン・コクトーが、ディアギレフ時代のバレエを復活させたいとボリス・コフノを通して接触したのがプティだった。コクトー原作でプティ振付の競作『若者と死』を戦後間もない騒乱期の1946年にパリ・シャンゼリゼ劇場で発表し大成功を収める。プティ21才の時。時代の寵児となったプティが戦後のバレエ界を牽引した。

 

 バレエ・デ・シャンゼリゼでは、あのモーリス・ベジャール(1927~2007)も踊っていた事がある。この数年後、ベジャールとプティはバレエ振付家として強烈なライバル関係となる。

 

 20世紀のフランス・バレエの双璧がモーリス・ベジャールとプローラン・プティだが、 ベジャールの方が圧倒的に評価が高い。しかし私はプティの方が好きだった。

 ベジャールの作品もプティの作品も、100作品以上づつもあり、作風も異なるので、一概に、これと定義する事は出来ないが、

 ベジャールの作品は1959年にブリュッセルの王立モネ劇場で発表された『春の祭典』での強烈なセックス描写など、性をテーマにしたものから、ジョルジュ・ドン主演で映画化もされ世界中で話題になった『ボレロ』などの肉体表現、幼少期の精神世界を断片的に描いた『くるみわり人形』、ベートーベンの第九に降り付けた『第九交響曲』に代表される宇宙の模型としての抽象バレエなど、攻撃的・象徴的・断続的・抽象的な作品が多い。

 

 対するプティは、初期作品のジャン・コクトーと競作した『若者と死』を代表に、『ランデブー』『カルメン』『アルルの女』『コッペリア』などの作品に見られるが、プティ作品の世界では、‘美女’と‘悪’が同義語だった。これは私が敬愛して止まない谷崎潤一郎の文学の基礎となるファム・ファタールの思想と同じだ。

 

 また、プティは映画やミュージカルの振付を担当するなど、天才的なショーマンなので見ていて楽しい。それを象徴するかのように、上記のような悲劇の他にも、『こうもり』のようなミュージカル風のハッピーエンドで軽妙な作品も多数創作している。

 そんな美女と悪を同義語とするファム・ファタール作品から、ショーのような楽しい作品まで、私の心の琴線に触れるのは必然だった。

 

 牧阿佐美先生が朝日新聞の追悼文に載せていた一文。

晩年に向かうにつれ深みを帯びていったベジャールとは対極的に、プティはどこまでも軽みの世界に向かっていったように思います’

 たしかにプティ作品は、美女と悪をテーマとする悲劇の初期作品から、晩年につれてショーのような軽い作品が増えていったように感じる。

 

 物語性がしっかりしている事。またダンサーとしても高い技術を持っていたので、それを基本とした振付を行っているため、プティ作品の方がベジャール作品よりも後世は残るかもしれない。

 

 パリ・オペラ座を中心に世界中で活躍したベジャールとプティだが、実は二人ともオペラ座バレエ団の芸術監督にはなっていない。

 やや旧弊な側面を持つオペラ座では、息苦しかったのではないだろうか。

(世界的プリマのシルヴィ・ギエムが旧弊なオペラ座を退団した時には、フランスの国家的損失とまで言われ、その後は徐々にオペラ座も変わりつつあるようだが。)

 バルトークやベーベルンなどの現代音楽や、シャンソンやジャズ、ロック音楽などにもベジャールとプティは振付を行っている。実験的な作品で、大成功を収めた作品は少ないが、大変、興味深い作品群だ。

 

 プティの作品は良く洒脱だと表現される。舞踊評論家の三浦雅士の本の一文に、三浦雅士がベジャールに「プティの事をどう思いますか?」と尋ねたエピソードが載っていた。するとベジャールは「ぼくはフランス人だけど、彼はパリジャンなんだ」と答えたとある。(三浦雅士著・バレエ入門より)

プティの作品は、どこまでも洒落が効いていて上品。そしてバレエの中に物語性とエンターテイメント性をはっきり表現し、ユーモアや皮肉などスパイスも効いている。生粋のパリっ子の瀟洒なエスプリ作品なのだ。

 舞台製作に関わった主な芸術家はジャン・コクトーだけでなく、パブロ・ピカソ、マリー・ローランサン、クリスチャン・ディオール、クリスチャン・ベラール、ボリス・コフノ、イヴ・サンローラン、キース・ヘリングなど、時代の最先端を走った。

 そんなプティの突然の訃報を受け、私の書棚を整理すると、プティ作品のDVDが5作も出て来た。

 

→2へ続く