残酷な破壊の神は、なんの断りもなく己の無慈悲を悔いあらため、底抜けのひょうきん者になっていた。

 約960万人もの観客を動員した「ゴジラ」が封切られてから11年後の1965年暮れ、いたいけな幼稚園児だった私は、「エレキの若大将」と同時上映されたシリーズ第6作「怪獣大戦争」を映画館で観て、座席から腰を浮かせるほど、うろたえていた。

 スクリーンでは、重力が地球の3分の1しかないX星で、身長50メートル、体重2万トンのゴジラが軽やかな身のこなしで跳びはねている。

 3本首の宇宙怪獣キングギドラを追いはらったゴジラは、歓喜の雄たけびをあげながら、漫画「おそ松くん」に登場するイヤミの決めポーズ「シェー!」を連発していた。

 

 

 1960年代の、まさに国民的ギャグ。

 地上に初めて出現したときのゴジラは、幼稚園児ごときは、わけもなく、えたいの知れない闇の奥へ連れ去ってしまう恐怖そのものだった。

 たび重なる水爆実験で被ばくした放射能をまきちらし、戦後の復興をとげつつあった東京をあっけなく踏みにじった、冷血な破壊者だったのだ。

 しかし、ゴジラ映画初体験者だった私が見たものは、まるで人類の守護者のようにふるまう、おちゃめな巨大ヒーローだった。

 なぜ、怪獣ヒエラルキーの頂点に君臨していた王者は変心してしまったのか。

 シリーズ第1作から12作目まで着ぐるみに入り、ゴジラを演じた中島春雄さん(2017年没、享年88)に、生前、そのわけをたずねたことがある。すると、「『シェー!』を撮ろうと言いだしたのは、オヤジさんなんだよ」と打ち明けられた。

 中島さんが、「オヤジさん」と親愛の情をこめて呼ぶのは、特技監督の円谷英二(1901~70)。「特撮の神様」である。

 「怪獣ブームでゴジラ人気がどんどん上がるにつれて、台本が子ども向けになっていったのは、そもそもオヤジさんが子ども好きだったからなんだ」

 「怪獣大戦争」の6年後。

 1971年の夏休みの「東宝チャンピオンまつり」で上映されたシリーズ第11作「ゴジラ対へドラ」で、怪獣の王は、ついに空を飛んだ。

 しっぽをまるめて腹でかかえ、口から吐きだす放射能熱戦を推進力にして、うしろ向きに低空を飛び去ったのである。

 

 

 場末の映画館で、見てはならない、異形の王のご乱心を目撃してしまった、当時小学6年生の私は、こううめくしかなかった。

 「ゴジラ、どうかしてる……」

 円谷英二の没後、最初のゴジラ映画となったこの作品は、当時、のっぴきならない社会問題となっていた「公害」をテーマにしていた。

 高度経済成長の忌まわしい代価として、工場排水によるヘドロ汚染や光化学スモッグなどの公害問題が、そのころ、国中のいたるところで噴き出していた。

 大量の工場廃液が野放しで流れこむ駿河湾で、隕石とともに飛来した地球外生命体がヘドロを養分として成長した新生物ヘドラは、同族の合体を繰り返して巨大化、田子の浦から上陸する。

 

 

 

 超強酸性の体液を体外へ撒き散らす「硫酸ミスト」を浴びると、人体は骨だけになり、ビルさえも腐食して倒壊した。

 へドラの硫酸ミスト攻撃の威力は強烈で、ゴジラの分厚い装甲板のような皮膚も焼けただれ、右手は白骨が剥き出しになり、左目も潰れて、見るも無残なホラー・クリーチャーと化してしまう。この映像が、終生はがれない、心のかさぶたになるのも必然だった。

 しかも、オープニングで、麻里圭子の歌う主題歌「かえせ! 太陽を」は、異界の不気味な呪文のように鼓膜に染みこんだ。

 ♪水銀 コバルト カドミウム

   鉛 硫酸 オキシダン

   シアン マンガン バナジウム

   クロム カリウム ストロンチウム……

 (この後、「海も空も汚れて生きものは全滅、この地上に涙を流すものは一人もいなくなった。青い空と海、緑をかえせ!」という絶望感をリフレインする歌詞が続く)

 

 

 空を飛べるようにするアップグレードは、必然だったのか。

 この映画で遅咲きの監督デビューした坂野(ばんの)義光によると、公害によって悪魔的な生命力が強まり、逃げ足も速くなったへドラと互角に戦えるようにするための設定だったという。

 坂野は、この映画で、ゴジラの「原点回帰」をもくろんでいた。

 ゴジラが、とめどなく愛され上手になってゆくネオテニー(幼形成熟)化に歯止めをかけ、ふたたび荒ぶる神に立ち戻らせようとしたのだ。

 

 

 

 脚本家も、そのたくらみにうってつけの人物だった。

 東宝ゴジラシリーズの脚本は、第3作「キングコング対ゴジラ」(1962)以降、関沢新一が、「モスラ対ゴジラ」「三大怪獣 地球最大の決戦」「怪獣大戦争」「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決戦」「怪獣島の決戦 ゴジラの息子」と続けざまに手がけ、人類にフレンドリーなゴジラ像を創造してきたのだが、「ゴジラ対へドラ」では、馬淵薫が起用された。

 馬淵の代表作は、変身人間シリーズの「美女と液体人間」「ガス人間第一号」「マタンゴ」や、「世界大戦争」「妖星ゴラス」「フランケンシュタイン対地底怪獣」「サンダ対ガイラ」などであり、いわば東宝特撮のダークサイドの表現者であった。

 馬淵脚本は、ゴジラの咆哮を、魔境へいざなう、かすれたすすり泣きのように響かせ、公害批判という真っ当な社会派のテーマさえ虚しくしてしまう禍々しさを内包した映像黒魔術なのである。

 東宝チャンピオンまつりの上映館の片隅で、遊びほうけて日焼けした子どもたちは、人類の破滅の不可避と、その災厄にゴジラさえも吞みこまれてしまう救いのなさを思い知らされ、人知れず慄然としていたのだった。

 

 

《1971年/東宝/監督:坂野義光/脚本:馬淵薫、坂野義光/出演:山内明、川瀬裕之、木村俊恵、麻里圭子、柴本俊夫》