記憶は弱者にあり、という。

 全弾装填された弾倉から、ひとつだけ弾丸を抜きとった拳銃を渡されて運試しを迫られる地獄のロシアンルーレットを、際限なく繰りかえさせられるようなホロコーストから生き延びたユダヤの人びとの「記憶」には、無限大の質量がある。

 唐突に、あらがうすべもなく家族が解体され、配偶者も親兄弟も子や孫もゆくえ知れずになり、この世を生きてきた痕跡まで消されてしまう。そんな耐えがたい不条理に、ほしいままになぶられ、600万人もの同胞が地上の穢れのようにあつかわれて抹殺されたのだ。

 パラノイアの独裁者に支配された帝国によって民族ごと根絶やしにされかけた「記憶」は、どうすれば贖われるのか。

 人の理性の領域では、罪と罰のつり合いをとる手だてなど、到底、見い出せそうにない。この難問に、ユダヤ人も苦悩していた。

 答えのひとつは、タリオの法による裁きだった。「目には目を」の同害報復で、600万の死は、同じ600万の死によってつぐなわせればいい。狂気には狂気を。

 実際に、敗戦直後のドイツで、「プランA」の名のもとに、600万の市民を毒殺する、おぞましい復讐がたくらまれていた。

 本作は、その史実に基づいている。

 

 

 

 主人公のユダヤ人マックスは、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所の生き残りだった。

 妻と幼いひとり息子とは収容所で引き離され、生死もわからなくなっていたが、解放されてからたどりついたユダヤ人難民キャンプで、妻子もろとも、ナチスの手で、むごたらしく処刑されたことを知らされ、絶望する。

 うちのめされたマックスは、イギリス軍の指揮下にあった武装ユダヤ旅団の兵士ミハイルに近づく。ナチスの残党をあぶり出して密かに処刑していた彼らの報復活動に加わるためだったが、旅団の任務が終わると、パレスチナの軍事組織ハガナーに入隊したミハイルの配下となり、不穏な動きをしていた過激なパルチザン組織にスパイとして送りこまれた。

 ホロコーストの生存者が集まり、「ナカム(復讐)」と名乗る、そのグループは、600万人のドイツ市民を標的とした復讐計画「プランA」をくわだてていた。

 それは、ベルリン、ミュンヘン、ハンブルグ、ニュルンベルグなどの大都市で、上水道に毒物を混入し、罪人か否かの見境もなく、女子どもまで巻き添えにする無差別な大量殺戮テロだった。

 

 

 

 ミハイルは、ユダヤ人をナチスの同類におとしめることになる、この非道な計画が、イスラエル建国のさまたげになるのを恐れて阻止しようとしたのだが、潜入に成功したマックスは、次第に心変わりしてしまう。共感を抑えられなくなって復讐心を燃えたぎらせ、ミハイルの指令に従わなくなってしまった。

 「プランA」は、すでに各地の配水網を突きとめ、毒物の調達さえできれば、いつでも実行可能になっていた。

 ホロコーストは、いかにして裁かれるべきか。

 もうひとつの答えは、ユダヤの人びとが豊かで美しい国土を得て、そこで安穏に生き続けることだった。

 ひとりでも多く生きていれば、民族絶滅という狂った野望は見るも無残に砕け散り、それにとりつかれ、忌まわしき亡霊となっている悪魔を辱められるからだ。

 しかし、どちらの答えを選んでも、それがただひとつの正解だという確信は湧かない。そうなるには、人生は短すぎる。

 「記憶」を片方の皿に載せた天秤はまだ、傾いたまま、時をやり過ごしている。

 

 

 

 

《2020年/ドイツ・イスラエル/監督・脚本:ドロン・パズ、ヨアブ・パズ/出演:アウグスト・ディール、シルヴィア・フークス、マイケル・アローニ、イーシャイ・ゴーラン》