《ネタバレあり》

 神は人の営みをつぶさに注視していると仮定してみる。

 そのとき、その視線にはサイエンティストの観察眼のような、情緒を捨象した冷淡な意志の力しか働いていないはずである。

 観察の意図が、観察の対象にどれほど筆舌に尽くしがたい災厄をもたらそうが、哀れみや同情など、人びとに期待される慈愛はまったく発動されないまま、観察プロジェクトは遂行されることだろう。

 ラース・フォン・トリアーの映画の「視点」とは、つまりその、残酷な神のそれ、である。

 思い起こせば、彼の「黄金の心三部作」の第1作とされる「奇跡の海」は、救いようのないほど狂おしい愛のロマンスだった。

 

 スコットランドにある海辺の寒村で、流れ者の男が、敬虔なキリスト者である村人の女と結婚するが、事故で首から下の肉体が不随となる。

 当然のことながら性的にも不能者となった男は、なんと新妻に、他の男と交わるように懇願するのである。それは、結婚して初めて肉体の愛に目覚めた妻を哀れんだがためだ。しかし妻は、夫の肉体を元通りにする奇跡を起こす試練として夫に従い、見ず知らずの男に陵辱され続け、ついには絶命してしまう。

 ビョーク主演のミュージカルで、カンヌのパルムドールを授かった「ダンサー・イン・ザ・ダーク」も、救済を拒まれた母性愛の悲劇だった。

 アメリカの田舎町の金属加工工場で働くチェコ移民の女が遺伝病で失明しかけていて、女手ひとつで育てている息子に視力を保つ手術を受けさせようとして細々と小金を貯めている。

 

  だが、ついに視力を失って工場を解雇された挙句、親しくしていた警官に貯金まで横取りされ、それを取り返そうと揉み合ううちに拳銃の暴発で警官を死なせてしまった。

 女は強盗殺人の罪をかぶり、絞首台に立たされる。

 「ドッグヴィル」も、実存主義の不条理劇にように、胸騒ぎの波紋を喉元に這い上がらせ、指を喉の奥に押しこまれたかのように嘔吐の誘惑に激しく駆られる。

 「ドッグヴィル」とは、ロッキー山脈の鉱山の麓にある、たった23人の住民しかいない、さびれきった村だ。

 そこへ、一発の銃声とともにギャングに追われている謎めいた美女グレースが現れ、かくまってほしいと懇願する。

  

 

 村人全員に気に入られることを条件に受け入れられた彼女は、献身的な労働奉仕で村人たちの友情と信頼を手に入れたように思われた。ところが、警察の指名手配書が村に届くと村人たちの態度は一変、カードを裏返すように善意は悪意へ瞬く間に反転する。

 彼女は村の奴隷のようにあつかわれ、逃げられないように重しをつないだ首輪をはめられ、ひっきりなしに男たちの慰みものにまでされてしまうのである。

 善悪の彼岸にいるはずの神にとって、善意と悪意の境界線など無意味に違いない。

 それは、反射と代謝のみを原則として生きる下等生物には善悪の区別を説く価値観が無用であるのと同義であって、価値観の源泉である、人の脳が創りだす唯脳論的世界の外側にある真にリアルな世界の酷薄な真相である。

 トリアー作品の苦重い後味の悪さは、残酷な神の視線と己のそれを重ね合わせたときに生じる魂の眩暈のようなものなのだろう。

 

 

 

 

奇跡の海《1996年/デンマーク、スウェーデン、フランス他/監督・脚本:ラース・フォン・トリアー/出演:エミリー・ワトソン、ステラン・スカルスガルド、カトリン・カートリッジ、ウド・キア/カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリ》

ダンサー・イン・ザ・ダーク《2000年/デンマーク、ドイツ、イギリス他/監督・脚本:ラース・フォン・トリアー/出演:ビョーク、デヴィッド・モース、カトリーヌ・ドヌーヴ、ピーター・ストーメア、カーラ・シーモア/カンヌ国際映画祭パルムドール・主演女優賞》

ドッグヴィル《2003年/デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド他/監督・脚本:ラース・フォン・トリアー/出演:ニコール・キッドマン、ポール・ベタニー、クロエ・セヴィニー、ローレン・バコール、ジェームズ・カーン、ベン・ギャザラ》