輪廻転生という、魂の行く先不明のメタモルフォーゼの定めがあるならば、過去生のどこかで、ジューシーなトマトとして生命を得ていたことがあっても不思議ではないし、来世でそうならないとも限らない。

 そのときのために、この永遠のバカデミー賞に輝くカルト映画を見ておけば、なんとか気を確かにしていられるはずだ。

 ただされるがままに、生身のままかじられたり、パスタソースやケチャップにされたりして、はかない一生を終えなくてもいい。油断しきっている人間を襲い、全人類を、えたいの知れない恐怖の虜にしてもいいのだと。

 なにはともあれ、とにもかくにも、いますぐネットを検索して、YouTubeで永遠にループしているテーマ曲を聴くべし!

 その驚くべき歌詞は、以下の通りだ。

 「キラートマトが襲ってくる。人に飛びかかり、殴り、押し潰し、うまそうに食べ尽くす。廊下を行進し、壁を這い上がる。中身はビチャビチャ、気色悪い生き物。ドアの外に立っている。カーミットという男はゴミを出した時、振り向くと木の上にトマトがいた。もう彼はこの世にいない。かわいそうな妹もトマトに食べられた。サクラメントからサンホセへ。トマトの進軍は続く。市長は休暇中。誰も救ってくれない。警察官はストライキ中。州兵は逃げた。トマトの勝利は近い!」

 そうなのである。これこそ、トマトが突如として巨大化し、人に襲いかかり、食らいつく、前代未聞の恐怖映画。しかし、そのバカでかいトマトは見るからに張りぼてで、路上で逃げまどう人びとに追い迫ろうとするとき、台車に載せられているのが丸わかりなのだ。

 近代兵器の無力を思い知らされた合衆国は、ホントに「特殊」なメンバーで構成された「特殊部隊」でキラートマトを殲滅しようとするのだが、やはり特殊な人たちは特殊であるがゆえにトマトの餌食になってしまう。

特殊部隊のサムは著名人に変装する達人

 

 ついに合衆国は、阿鼻叫喚の地獄の惨状を呈して、トマトに制圧されようとするのだ。

 おバカ系カルト映画の世界遺産となった本作は、けっして、その世界の巨匠、エド・ウッドが監督した「死霊の盆踊り」のような最低最悪映画にはなっていない。

 どの役者の顔つきも芝居もウサン臭いが、それが癖の強い、極上のポンコツ味を濃密に醸し出している。空手でいえば3年殺しに相当する殺法で、見る者の中枢神経系を絡めとってしまい、連綿と語り継がれる伝説となったのである。

 てなわけで、本作の公開から9年後に続編「リターン・オブ・ザ・キラートマト」が製作され、さらには、「キラートマト 決戦は金曜日」「キラートマト 赤いトマトソースの伝説」と続くシリーズ化し、あやうく、おバカ映画の「釣りバカ」的存在になりそうだった。

 

 

 キラートマトは、「恋する思春期」というヒット曲を聞かされると、なぜか縮みあがってすくんでしまい、この音楽攻撃によって撃退されてしまうのだが、後に、ティム・バートンが「マーズ・アタック」で、まったく同じアイデア(カントリー・ヨーデルの歌手スリム・ホイットマンの曲「インディアン・ラブコール」で火星人全滅)で落ちをつけたのは、本作へのオマージュであるという解釈が定説となっている。

 ちなみに、マッド・サイエンティストが有毒廃液と音楽によってトマトを人間に変身させる実験に成功する第2作「リターン……」の準主役は、なんと、まだ無名時代のジョージ・クルーニーで、まるでポッと出の若手お笑い芸人のように空回りしているのだ。

若さゆえに犯した過ちは、赤い彗星シャーでなくても認めたくないものである。

 

 

 

《1978年/米国/監督:ジョン・デ・ベロ/出演:デヴィッド・ミラー、ジョージ・ウィルソン、シャロン・テイラー》