その業の深きがゆえに、苦界でもがき苦しんでいるかのような映画がある。

 そんな映画に出くわすと、手練れの技の亀甲縛りのように、がんじがらめにされている因果のくびきを、なんとかして解き放ち、赤黒い縄目の跡を、ねぶりながら味わうように数えてみたくなるものだが、本作こそ、そのメーンイベント級、しかも有刺鉄線金網電流爆破デスマッチのような「特殊」映像作品だ。

 1997年8月20日、東京の府中刑務所を、ひとりの腰の曲がりかけた男が、約13年半の刑期を終えて満期出所した。

 この老人こそ、昭和天皇にパチンコ玉を撃ちこんだ神軍平等兵。もはや伝説と化したドキュメンタリー映画「ゆきゆきて神軍」の主人公、奥崎謙三なのだった。

 原一男監督の「ゆきゆきて、神軍」が劇場公開されたのは、まだ年号が「昭和」だった1987年。忘れ去られつつある奥崎謙三とは、なに者なのか。

image

 太平洋戦争に従軍し、戦後、ニューギニアから復員した奥崎は、神戸でバッテリー商をいとなんでいた1956年、家を借りる話がこじれて不動産業者を刺殺。このときの10年におよんだ獄中生活で、神のもとに万人は平等であるという真理に開眼した。

出所してから3年後、皇居の新年参賀で、「ヤマザキ、天皇を撃て!」と亡き戦友の名を叫びながら、諸悪の根源である不平等の象徴たる昭和天皇にパチンコ玉を放ち、ふたたび独房へ。

 刑期を務めあげてシャバに舞いもどった奥崎は、ニューギニア戦線の上官が、人肉食で飢えをしのいだ部隊の恥を封じるため、2人の兵士に敵前逃亡の罪をなすりつけて銃殺していたと確信し、糾弾を始める。

 「ゆきゆきて神軍」は、その予測不可能でエキセントリックな追及のなりゆきを追っていたが、映画が完成する3年前、奥崎は、なぜか元上官の息子に発砲して重傷を負わせ、殺人未遂罪で、またもや懲役刑に服したのだった。

 「ゆきゆきて」では、「いい結果が出るのならば、暴力も許される」と強弁しながら、内臓手術を終えたばかりの別の元上官を蹴り倒そうとするなどして観客の度肝を抜いたが、その思想は、最後の獄中で、さらに常人の理解を超えた奥崎ワールドへ跳躍していた。

 まず、神様直伝の、人類の病苦を根絶する究極の健康法として、「血栓溶解法」を唱え始めた。

 はた目には、下腹の前で両手の拳を握りあい、前後に小さく回す動作を延々と繰りかえしているだけにしか見えない。しかし、そうすることによって、全身の血管内の血栓が溶けてなくなり、ひいては、自身が完璧な健康体になることで、神の法の下に万人が渾然一体、平等に生きられる「ゴッドワールド」の実現を早められるというのである。

 さらには、こちらも神から想を授かったという「引力モーター」なるものも発明していた。それは、いったん回転を始めると、外部からエネルギーを与えられなくても無限に回り続けるという、いわゆる永久機関だった。

 「神様の愛い奴」は、奥崎の府中刑務所出所シーンから始まる新たなドキュメンタリー映像である。

 本人は、満期出所の日が、「ゆきゆきて」パート2がクランクインする凱旋日になることを独房で夢想していたのだが、さすがに、それはかなわなかった。

 このとき77歳であったはずの神軍平等兵の悪鬼のような迫力は、いささかも衰えていない。どころか、独房で濃縮されたマグマが猛毒のように一気に噴出し、手のつけられない理不尽大魔王と化していた。

 ムショ帰りの老人とはとても思えない体力で、いきなり炸裂するオールナイトのトーク&トーク。「血栓溶解法」の実践を怠らず、祈るように組み合わせた両手を休みなく上下に振っているのが、なんとも言えず、うっとうしい。

 「先生!」と唱和してつき従うスタッフを引き連れ、東京駅では駅員に悪罵を投げつけるわ、かつての支持者から、「もう尊敬できない」と正直に打ち明けられると、「その、まなざしはなんだ!」と難癖をつけてつかみかかるわで、もう不快きわまりない狼藉ぶりなのである。なにしろ「私のバックは神様。私は神様のナンバーワンの傀儡」と宣言しているのだから、どうにも手がつけられない。

 原監督は、かつて、奥崎のパーソナリティーについて、「正義と自己顕示欲がバラバラに独立したまま同居し、統一されることのなかった人」と評していたが、最後のシャバでは、自己顕示欲が途方もなく肥大して、均衡を失っていたようだ。

 ところが、である。

 この映像作品は、唐突に、「奥崎先生」主演のアダルトムービーへと一変してしまう。

 ラブホテルで女優の乳房にむしゃぶりつき、騎乗位で昇天。「ありがとうございました。幸せにさせてくださいました」と合掌する先生の脳細胞は、なんと無邪気にリビドー音頭を踊っていたことか。

 そして、この映像の真価というべきクライマックスが訪れる。

 先生とSMの女王様の対決である。

 「奴隷になんなきゃ、いかせてやんないよ」と吼える女王様。「こんな、おっかない女の人には射精できないんだ」とたじたじの奥崎。ずたずたに引き裂かれたプライドを奪いかえそうとするかのように女王様につかみかかるが、逆に足蹴にされてしまうのだった。

 製作者のロフトプロジェクト代表の平野悠氏は、「オールド左翼の幻想にとらわれ、奥崎さんを反権力のシンボルとして賛美しようとする人びとに鉄槌を下せた」と語っていた。

image

 思えば、「ゆきゆきて」の奥崎は、昭和天皇という宿敵あってこその神軍平等兵だった。

 だが、平成の世によみがえると「知らぬ存ぜぬは許しませぬ」と人差し指を突きつける標的は見つけられなくなっていたはずだ。

 失意のうちに奥崎は、2005年6月16日病没、享年85。

 しぶとくへばりついていた昭和のカサブタが剥がれ落ちたような後味を残す訃報だった。

 

 

《1998年/監督:大宮イチ、藤原章/挿入画:根本敬/出演:奥崎謙三、太田垣敏和、湯浅学、佐川一政、貝四朗》