見た目は確かに、血しぶきのようにホットな唐辛子の赤みにまみれたキムチとしか思えないのに、ほおばって噛みしめてみると味覚の記憶は裏切られ、慣れ親しんできたキムチ味がしない。

 辛さは極力ひかえめ。

 代わりに酸味をたっぷり強めにしている。

 「韓国系アメリカ映画」ともラベリングされた本作の序章は、そんな印象をひきずりながら、ある家族のドラマを語り起こす。

  時は1980年代。韓国からの移民のジェイコブ一家がカリフォルニアから南部アーカンソー州の片田舎へ引っ越してくる。

  車の長旅でたどり着いたのは、まったく人影のない、だだっ広い草原にポツンと建つ一軒家。しかも、車輪の付いた、みすぼらしいトレーラーハウスだった。

 妻のモニカは、「約束が違うわ」と、たちまち不機嫌になるが、ジェイコブは「ここは土がいいんだ」と満足気だ。

 カリフォルニアで10年もヒヨコの雌雄を鑑別する仕事を続けて人生に行きづまりかけていた彼は、農業でひと旗揚げようともくろんでいた。

  当時、軍事独裁政権下の韓国を逃れて米国に渡る移民は年間3万人余りもいたらしい。大農場を切り開いて韓国野菜を栽培すれば需要があるはずと踏んで、アメリカン・ドリームの体現者になろうと意気ごんでいたのだ。

 夫婦には年端もいかない子がふたりいた。

 長女のアンは、新天地に来てからいさかいが絶えない両親を、不安を押し殺しながら、大人びたまなざしで観察している。

 弟のデビッドは、まだ寝小便が治らないほど幼いが、心臓に病を抱えていて気難しい。

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 しかし、ここまでキムチ味のしないキムチを反芻していた口の中に、やにわに舌が痺れるほどヒリリと辛く、身ぶるいしたくなるほどニンニク臭い超本格キムチ味が出現し、瞬時に満ちあふれてしまうのである。

  一家の祖母、スンジャの登場によって。

 本作でアカデミー賞助演女優賞をかちとったユン・ヨジョンが演じたスンジャは、モニカの母親。学校にも通えないアンとデビッドの面倒をみるために韓国から呼び寄せられた。問わず語りのモニカの話だと、朝鮮戦争で夫が戦死して以来、ひとり身だったらしい。

 英語など、ごくわずかな単語しか知らないスンジャは、家族に思いがけない緊張と緩和を同時にもたらす存在だった。あけっぴろげで口が悪いうえに騒々しい。字が読めず、料理もできない。花札の腕前だけはずば抜けていて、相手が子どもでも容赦がない。

 デビッドは、こんな型破りにもほどがある祖母を最初は嫌っていたが、逆襲のいたずらをしかけ、やりあううちに打ちとけて、いつの間にか寄りそっている。

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 物語の軌道が、ありきたりの移民家族の浮き沈みをだどるだけで終わらず、愛憎が判別しがたく入り混じった人間性の深奥へえぐりこんでいったのは、そこにスンジャがいたからこそ。ユン・ヨジュンの演技が称賛されるのは、必然だった。

 「ミナリ」とは、韓国語でセリのことだ。

  ミナリは、韓国では鍋物に欠かせないし、チヂミやナムルにもなる万能野菜だ。

 スンジャは、韓国から持ちこんだミナリの種を、小川のほとりにまいて育てていた。

  さんざん苦労して手に入れたものを、なにもかも失うようなことがあっても、したたかに大地に根を張ったミナリは、打ちのめされた家族をつなぎとめてくれるはずだ。

 

 

《2020年/米国/監督・脚本:リー・アイザック・チョン/出演:スティーヴン・ユァン、ハン・イェリ、ユン・ヨジョン、アラン・キム、ネイル・ケイト・チョー、ウィル・パットン/第93回アカデミー賞助演女優賞=ユン・ヨジョン》