ぶ厚い鉄の扉が開いたところから、もてあまされた男の受難が始まる。

 どうしようもなく不自由なのに、なにをしようが自由だと、ぬけぬけと言いくるめられている欺瞞に誰も気づいていない愚鈍な世界に放り出されたと思い、男は、にぎわっているプールで、ひとりだけ溺れかけている人のように、もがき苦しむことになる。

 殺人の罪を犯し、懲役13年の刑期を満了して出所した三上正夫(役所広司)は、かつて極道者だった。

 孤児院育ちで前科も半端ではない。情け深いが思慮が浅く、ぶち切れると手がつけられなくなる。満期出所は、聞きわけがいい模範囚ではまったくなかったということだ。

 

 

 三上にはしかし、堅気になって自立する意志があった。

 身元引受人の弁護士に手助けされて生活保護を受け、ボロアパートに住み、まっとうな仕事にありつくため、失効した運転免許を取り直そうとするが、案の定、思うようにはいかない。

 そんな三上をテレビのドキュメンタリー番組の主人公にする企画が持ちあがり、作家志望の青年、津乃田(仲野太賀)が密着取材にとりかかる。ところが、血の気の多い野生動物のような三上の直情的なふるまいに恐れをなし、カメラを向けられなくなってしまう。

 

 

 

 原案は、1990年に刊行された、佐木隆三の小説『身分帳』。1986年に北海道の旭川刑務所を出所した、実在の元ヤクザの言行に基づくノンフィクション・ノベルである。

 「身分帳」とは、受刑者の生い立ちに始まる経歴、特徴、素行などが事細かに記された、刑務所の内部資料のことだ。佐木は、モデルとなった人物から、門外不出の身分帳の写しを送りつけられ、小説にするよう頼まれたことから、規格外の前科者を簡単には社会復帰させない多難な現実の証言者となった。

 映画は、時代設定が35年後、暴力団対策法が施行されている「現在」に移され、三上のような業の深い男には、なおさら生きづらい世間が待ちかまえている。

 だが、光線を屈折させず、そのまま透過させる物質のように嘘偽りのない人間性は、警戒の保護色に隠れていた寛容な善意もひき寄せる。身元引受人の弁護士はもとより、津乃田や近所のスーパーの店主、役所のケースワーカーも三上を見捨てるようなことはしない。

 

 

 ストーリーの半ば、仕事がみつからず切羽つまった三上が、兄弟分だった博多のヤクザを訪ねるシークエンスがある。三上は歓待されたものの警察のガサ入れに遭い、逃げ出さざるをえなくなる。ヤクザの女房は、別れぎわに祝儀袋を渡しながら、こんな手向けの言葉を添えるのだった。

 「娑婆(しゃば)は我慢の連続ですよ。我慢のわりに、たいして面白うもなか。やけど、空が広いち言いますよ」

 くそったれだけれど、すばらしき世界へようこそと、三上を手荒く出迎えたシャバでは、見上げればいつも、果てしなき空がある。

 

 

《2021年/原案:佐木隆三『身分帳』/監督・脚本:西川美和/撮影:笠松則通/出演:役所広司、仲野太賀、六角精児、北村有起哉、白竜、キムラ緑子、長澤まさみ、安田成美、梶芽衣子、橋爪功》