おはようございます。江戸散歩です


府中市郷土の森博物館、建物散歩の続きです。


多摩地区の古民家が集められています


 

 

 

旧島田家住宅

 

島田家は、旧甲州街道沿いの商家です

 

 

薬屋を営んでいたため「島田薬舗(やくほ)」の看板が掲げられています

 

 

薬箪笥

医者や薬屋などが薬剤を入れて置くのに用いた小さい抽斗(ひきだし)が沢山ある箪笥。 百味箪笥とも言うようです

 

 

 

 

昭和時代の薬看板

蚊取り線香の由美かおるさんが妙に色っぽかったのが記憶あります

 最近メディアに登場しないけど元気なんでしょうか?

 

 

 

 

 

 

島田家の裏手にある蔵

 

 

 

 

 

 

 旧河内家住宅

 

 

 

 

 ハゲではありません

ケに点々がありますが、汚れです

 

 崖線の事をハケと言います

東京には、この立川崖線と国分寺崖線があります

 

 

 

 

 訪れた日は仲秋の名月の頃でした

 

 

 

 

 洋風の建物もあります

 

 

 

 

 

 この崖線が立川崖線です

この崖か清水が湧き出しています

 

 

 

 

 秋と言えば萩

萩のトンネルがあります

 

 

 

 

 水車小屋

 

 

 

 

 

 

 

 

 軸の所に家根があります

 

 

 

 ごとごとごっとん

 

 

 

 

 

 この案山子

どこかで見た記憶あります

 

このブログ書いている時に思い出しました

ジブリの映画に出ていたなあ

何だっけ⁉️

 

 

 

 

 

 

 

 

案山子アート

 

野鳥に効果はあるのでしょうか?

 

 

 

川崎平右衛門定孝像

 

 

 

 

 

地元川崎市の由来になった郷土の英雄

 

 

今から300年程前の江戸時代中頃、武蔵国押立村(現在の押立町)で生まれた人物です。平右衛門は、地元府中周辺の多摩川大洪水の後の治水工事や六所宮(大國魂神社)の東照宮の修理などに尽力するとともに、多摩地域の発展の礎となった武蔵野新田の安定化や新田村々の救済・復興の立役者となりました。さらに幕府代官として派遣された、岐阜県瑞穂市の輪中地帯での治水事業や世界遺産で有名な島根県大田市の石見銀山の経営でも活躍し、いずれも大きな業績を残し、多くの人々から尊敬され、感謝されました

 

 

 

旧三岡家長屋門

1829年(文政12)の創建と考えられる農家の長屋門です。

江戸時代後期に旧是政村の村役人を勤めた三岡家の分家に建てられていたものです。 

中央部を門とし、その両側に部屋を設けた長屋門の一般的な形式をとっていて、多摩地域では標準的な大きさです。

しかし、両側の部屋を総塗込め蔵造りとし、置き屋根形式を採用している点で類例の少ない長屋門といえます

 

 

 

 

 森の間伐材を使ったアート

椅子がかわいらしい❗


 

 

 

 

 旧三岡家長屋門の奥には、地域の農耕の展示品があり収穫を終えた稲穂が乾燥されています。

江戸時代は、江戸で暮らす人々の大事な食料です。急激に増加する人口に幕府は様々な政策をうちます

ひとつひとつが稲作と治水工事で、地元勢の二ケ領用水もそのうちの一つで、当時は水争いがあった位です



 

 

 

 まいまいず井戸


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まいまいず井戸とは、地面を大きくすり鉢状に掘りくぼめ、その底面から掘り抜いたものです。「まいまい」はかたつむりの別名で、すり鉢状の窪みの斜面を螺旋状にくだって水を汲むことから命名されたと思われます。その分布は、武蔵野台地や伊豆諸島に集中し、地下水位の低い環境で生み出された形式と考えられ、地域によっては昭和30年代まで利用されていました。復元した遺構は、平安時代のもので、くだる道こそ確認できなかったものの、その形状や規模からまいまいず井戸のルーツと推定されます。復元にあたっては、羽村市五ノ神のものを参考とし、螺旋状の道を敷設しました。

 

散策も後半になります