おはようございます 江戸散歩です

 

 

今回の旅の最終目的地は、甲州市塩山にある恵林寺です

 

 

恵林寺と言えば、有名なのが織田信長の焼き討ちです

 

 

 

素晴らしい参道です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

恵林寺 総門(総称:黒門)

 

 

 

 

 

 

雑華世界

「この門より外は喧騒の世界、門の中は静寂の世界」

何やら、世間は飛びものが騒がしい世の中

この際、仏門に下るか

 

 

 

 

 

臨済宗妙心寺派  乾徳山  恵林寺

 

甲斐、武田氏の菩提寺となっています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この参道は気持ちいいです

風が爽やかに通り抜けていきます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

四脚門(赤門)
恵林寺の南の入口に建つ総門(通称:黒門)から入って、参道を進むと見えてくるのが四脚門(通称:赤門)。

徳川家康の再建と伝えられるもので、国の重要文化財。 恵林寺の山号である「乾徳山」の額を門の上に堂々と掲げている。

 

 

 

黒門の渋さとは対象的に、朱色の赤が眩しい位華やかです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

赤門を抜けると、境内は日本庭園が見事です

 

 

 

 

侘び寂びと言うのでしょうか

茶の世界で例えられる言葉ですね

一般的には、美意識のひとつとされています

庭園でも同じことが言えますね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三門
四脚門(赤門)をくぐり庭園を進んでいくと、次なる門が見えてくる。県の重要文化財に指定される三門である。この三門には織田信長の焼き討ちで壮絶な火定を遂げた快川和尚の遺偈が掲げられているが、現在のこの三門は、まさしくその悲劇の現場に建てられている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し

 

 

 

天正10年(1582年)3月、織田・徳川連合軍の武田領侵攻(甲州征伐)によりで武田氏は滅亡する。武田氏滅亡後、織田氏は恵林寺に逃げ込んだ佐々木次郎(六角義定)の引渡しを要請するが、寺側が拒否したため織田信忠の派遣した津田元嘉・長谷川与次・関成重・赤座永兼らによって恵林寺は焼き討ちにあった。この際、快川紹喜が燃え盛る三門の上で「安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し」と、『碧巌録』第四十三則の偈を発して快川紹喜は火定したといわれる

 

信長の非道は、比叡山延暦寺や伊勢長島の一向一揆など非常な振る舞いをしています

ある意味、狂人で誰も止める事が出来なかったが、明智光秀によって征伐されました

あのまま、信長が生きていたらもっと悲劇が起きていたかも知れないです

 

 

 

 

 

 

快川紹喜和尚ら宗徒に合掌