おはようございます 江戸散歩です

今までは外掘跡を歩いてきましたが、今回よりここ常盤橋付近で日本橋川と合流しました


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常盤橋門は、寛永6年(1629)に東北の諸大名によって築造されたそうです
慶長年間には浅草口と呼ばれ、外郭の正面であることから大手口と呼ばれ、当時江戸では
最大の橋で大橋と呼ばれました

その後、常盤橋と改名しました



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常盤橋門跡
キチンと左右に櫓台が残っている貴重な江戸城外の遺構です

この橋の名前でひと悶着ありました 幕府より盤に皿の漢字が入っていることにクレームを
付けたそうでう 皿は割れるという縁起の悪いものでした

したがって実際の橋の銘版には常磐橋として「石」が使われています

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下の画像は先の震災で被害を受けた常盤橋門の櫓台です

全壊は避けられて石垣がずれる程度の被害でした
早い復旧を希望します

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石垣中程にずれが見えられます


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常盤橋門の前には日本銀行があります 江戸時代にはここに金座がありました

金座は江戸時代を通じて、勘定奉行の支配下にあって、金貨(小判および一分金)の鋳造・鑑定・
地金類の買収・監察などをしていたところで、江戸・駿河・佐渡・京都の4ヵ所に置かれていました


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神田橋門は、寛永6年に高麗門と右折枡形が、東北諸侯により築かれました。
神田橋御門 は、将軍が上野・寛永寺に参拝するための御成道でもあったので、非常に警備が厳重であったといいます

江戸時代、神田橋は江戸城郭門の一つ、日光御成道の起点としての要所でした
日光御成道は、江戸城大手門から神田橋門、将軍が日光東照宮へ参拝する街道の呼称です
日光街道の脇街道で、幸手宿で日光街道と合流しています



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現代の神田橋は櫓台などの遺構はありませんが、江戸時代の石垣らしきものが橋の下にあります
石垣などが崩れていますが、残念ながら修復は行われていません


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橋のたもとには不思議な黄金像があります

豊展観守像
「千代田区民の豊かさと区の発展を見守る姿を、こがね虫を人間の擬人化に より造形表現」
制作者は、鍛金師で彫刻家の故山下恒雄氏

なんでこがねむしを題材にしたんでしょうか?

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