江戸城を歩く 総集編 36見附を歩くシリーズが今日から始まりました

本日は、江戸城外郭の浅草橋門、筋違橋門、小石川門の紹介です




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まずは浅草橋門から


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当時の浅草橋門
この橋は奥州街道の出入り口となっていて、浅草寺への道として大変賑わった場所です
神田川もこの先の下流で隅田川に流れ込んでいます
橋が架かった当時は両国橋はまだ完成しておらず、明暦の大火で沢山の人が浅草寺方面に逃げようとしました

ですがこの門のお陰で逃げる事ができず大勢の人が焼け死んだという悲しい出来事がありました

この事をきっかけに両国橋の架設が幕府で決まり、その後隅田川に順次橋が架かっていきました

渡り櫓門が出来たのは、寛永13年、松平忠昌が建てました


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現代にはこの浅草橋門の遺構が無いのですが、浅草橋の橋のたもとにこの石碑があるのみです

と言うのが定説なのですが、人知れずこんなところに浅草橋門の遺構が展示してあります


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ここは浅草橋に縁がある初音森神社です
もとは浅草橋門が出来る前には神社が門を建てた場所にありました
この場所は神田川沿い浅草橋と柳橋の間ありますので、浅草橋散策の時は
こちらも立ち寄って下さい


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当時の筋違門
筋違の由来は、日本橋から本郷へ通じる中山道と、内神田から下谷へ通じる日光街道(御成道)
が交わる場所でした

将軍が上野・寛永寺へ参拝する時この門を通った事から御成門とも呼ばれていました

見附が出来たのは寛永13年、門が出来たのが寛永16年に加賀藩の前田利常により建てられました


筋違橋門内の広場は八ッ小路(やつこうじ)と言われており、八方へ通じる道があったそうで
広小路的な役割をしていました



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これは現代の万世橋です
向こうに見えるのは旧交通博物館(現在は埼玉県に移転)です。実際の筋違門はこの万世橋から
上流に架かっていました 

その後筋違橋は流失され復元される事は無かったそうです



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ここが実際の筋違門があった場所で人知れず案内板がひっそりと立っています
将軍が通った由緒ある遺構が何も無く看板一つで済まさせています
歴代の将軍が草葉の陰で泣いている事でしょう

さて、この赤い煉瓦の建造物は交通博物館を建てる為に作った訳ではありません

実は、ここには幻の駅があったんです(鉄道マニアの方には常識)

甲武鉄道(後に国鉄(JR)が買収)の終点駅の万世駅があったんです
赤煉瓦の駅舎といえば東京駅が有名でしたが、ここも結構有名だったそうです

国鉄に変わった後は、中央線として東京駅まで延長した為、この線路は使われなくなり
その後交通博物館として再利用されました

若い方ですと、ここに交通博物館があっただなんて信じられないでしょうね



今回は、神田川を下流から浅草橋と秋葉原の今昔をお伝えしました

では、また次回をお楽しみに!




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