おはようございます 江戸散歩です

すっかり更新が遅れた大田区にある池上本門寺の散策レポですショック!

池上本門寺は、日蓮聖人が今から約七百十数年前の弘安5年(1282)10月13日辰の刻(午前8時頃)、61歳で入滅(臨終)された霊跡です。

日蓮聖人は、弘安5年9月8日9年間棲みなれた身延山に別れを告げ、病気療養のため常陸の湯に向かわれ、その途中、武蔵国池上(現在の東京都大田区池上)の郷主・池上宗仲公の館で亡くなられました。

長栄山本門寺という名前の由来は、「法華経の道場として長く栄えるように」という祈りを込めて日蓮聖人が名付けられたものです。そして大檀越の池上宗仲公が、日蓮聖人御入滅の後、法華経の字数(69,384)に合わせて約7万坪の寺域を寄進され、お寺の礎が築かれましたので、以来「池上本門寺」と呼びならわされています。
(池上本門寺HPより)

梅林で有名で今年の2月に散策してきました


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経蔵
『新編武蔵風土記稿』によると、宝永7年(1710)焼失、享保2年(1717)第24世日等聖人が徳川御三家水戸綱條公を大檀那に再建したと伝えられています。


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堂内の輪蔵(心柱を軸にした書架)には、天海版一切経が架蔵されています



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霊宝殿
立教開宗750年慶讃事業の一環として、平成13年に完成。本門寺が格護している数々の霊宝を永代に亘って保全しています。通常、毎週日曜日に観覧出来るそうです。



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大堂(祖師堂)
旧大堂は、第14世日詔聖人代の慶長11年(1606)、熱心な法華信者として有名な加藤清正公が、慈母の七回忌追善供養のために建立、間口25間の堂々たる大建築であった。

清正公が兜をかぶったまま縁の下を通ることができたと伝える。その壮観さを江戸の人々は「池上の大堂」と称し、これに対して、上野(寛永寺)は中堂、芝(増上寺)は小堂と呼んだという。

凄いですね。将軍家の菩提寺を小さい呼ばわりして家康が聞いたら頭から湯気が立つ位怒ったでしょうねにひひ

旧扁額「祖師堂」は本阿弥光悦筆であった。同堂は、惜しくも宝永7年(1710)に焼失、24世日等聖人代の享保8年(1723)、徳川8代将軍吉宗公の用材寄進で、当時の倹約令に従い間口13間に縮小されて再建された。

ちなみに同公は、大岡越前守を普請奉行に、釈迦堂・大客殿・大書院なども建立寄進している。旧祖師堂以下、すべて戦災で焼失した。