<2024年2月18日>
今日は今年2回目の街道歩き。
今回は近場の街道父鬼街道です。
あまりにもローカルすぎてウチの近辺の人でも知らない人が大方かと思います。
2017年から放置していたので一気にゴールを目指したのですが、ハプニングというか大失態というか思わぬ展開になってしまいました。
(前回は→ 父鬼街道①(鳳→光明池) | Eddie's Diary (ameblo.jp) )
前回ゴール地点から最も近い駅である光明池駅から帰ったのですが、今日はJR鳳駅からダイレクトに下りられるバスでここまでやってきました。
今回は和泉市をひたすら南下していきます。
変電所前を過ぎると郊外の住宅地です。
ここで右手に下りていく階段へ。
元々の旧街道は手前から今は住宅街になった所を通っていたようです。
階段を降りたところに残っている旧街道は畑の中の道。
遠くの山を見つつ歩いていきます。
地道を抜けてスーパー松源の裏から国道480号線とクロスします。
旧街道らしい古くからあると思われる家並みを抜けて行きます。
家の前に松並木のある元豪農?庄屋?らしき立派なお屋敷がありました。
こちらもなかなか風情のある建物です。
一旦国道に合流して左手に分岐します。
引き続きポツポツとですが古い民家などを見つつ南下していきます。
左手を見ると農村チックな風景ですが、ここはまだ大阪府内です。
再び国道480号線に合流、かなり離れる箇所もありますが480号線=父鬼街道です。
ローソンの交差点で左手の旧国道に入っていきます。
路線バスは新国道でなく旧国道を走ってます。
西国三十三ヶ所巡りをされてる当ブログのお客様もこの路線を使ってるはずです。
ここでバス道から国分峠への旧道に入ります。
かなりの急坂を登っていきます。
久々なのでけっこうふくらはぎにきてます。
ナニ?光明皇后の生誕地?
光明皇后=聖武天皇の嫁ですが、こんな所で??ホンマかいな....。
祠の横に道標がありました。
「左 大峯道」 「右 槇尾山道」かな、たぶん。
そして峠を下り始める次の分岐点にも・・・・。
「左 大ミ祢山」 「右 ま紀のを」、たぶん....。
槇尾山(まきのお)というのはこの先にある槇尾山施福寺のことですね。
今度は一気に下っていきます。
国道170号線の外環状線でなく昔からの古い国道の方に入りました。
槇尾中学校バス停の向こうのファミマでしばし休憩~。
いろいろ案内されてますが泉州人の当方もほとんどしらないところがほとんどです。
国道から離れて集落の中を進みます。
男乃宇刀神社の向こう、国道に行くか神社を巻いて行くか微妙に迷いました。
車のない所を通りたかったので巻いて行きましたが違ったかもしれません。
家並みはなく途切れ途切れになりますが、たまに立派な家が現れます。
左手は建物は古くないですが石垣がかつての勢いを示すかのようでした。
さてこの橋あたりから単調な国道歩きとなりました。
過去に歩かれた方のサイトを参考にしたのですが、帰ってから調べたところ川の手前に左に反れる道があってそれが旧街道と示すものもありました。
歩いてる時に地図を見て川の対岸の道が旧街道っぽいなと思いもしたのですが、この時点では国道=整備された後の旧街道という認識でした。
この先の交差点で左折し国道480号線へ入ります。
交差点の角に父鬼街道と書かれた新しい標識が立ってたのも
旧道で間違いなしという思いで歩き続けた理由の一つです。
とりあえず今となっては旧道ではない可能性の高いルートアップを続けます。
左折してすぐに元国道480号線の方へ反れて行きます。
思い起こせば免許を取ってまだ間がない頃にこの道を通った記憶があります。
高校の時、この辺から堺東まで通ってる同級生がいました。
当時その距離感が全然分からなかったのですが、地理の先生がその遠さを過剰に強調してすごいトコから通ってるみたいなことを言ってたのを思い出しました。
現在の国道は元国道の上にかさ上げして造られたようですね。
10年近く前にできたトンネルを抜ける新ルートは、当方も高野山や十津川方面から帰ってくる時に使うことが多いです。
バス停側川。
がわがわ、ではなく、そばがわと読みます。
小学校3年か4年の時に側川へ飯盒炊飯をする遠足で側川に来ました。
ですが飯盒炊飯をする河原などどこにあるんですかね??
これまで川沿いから見た限りでは深い渓谷状の風景ばかりだったのですが・・・・。
さて、歴史の道調査報告書ではこの側川のバス停の近くに旧道が出てきてます。
報告書に記された道はどんな感じなのか気になります。
父鬼街道沿いではもっとも南にある大阪府の小学校。
校舎はそこそこ大きいのですが今の少子化時代、生徒は何人くらいでしょうかね。
小学校の先から父鬼の町内となります。
家の脇に置かれた道標。
破損したものの廃棄されずにひっそりと余生を過ごさせてもらってるかのようです。
左は読めませんが、右は「紀(記?)のを?」なので槇尾山を指してるのかも。
父鬼の町の中心部に入ってきました。
和泉国の端っこにあるこの町、よくあるローカルな集落風景なのですが、歴史を重ねて今に至った重みみたいなものを個人的には感じました。
本日の旧街道の郵便局。
やはり街道の名前のついた郵便局(和泉父鬼郵便局)をアップしておきます。
1日に往復4本しかないバスの終点です。
父鬼の町はけっこう細長くメインどころで600mくらい。
両端まで含めるともっとあるので意外と家の数は多そうです。
さて父鬼を抜けたら七越峠を越えて紀伊国へと向かいます。
山の中へ入ってきました。
スギ花粉があまり飛んでないことを祈りつつ....。
こういう案内が立ってるところを見るとハイキングコースにもなってるようです。
で、どんどん進んで行くと二股や前後に分かれる所があり行ったり来たり。
行き止まりから戻って別の方向へ、と進むのですが行けども行けども変わらぬ景色。
そしてここで前へ2方向、左後ろに1方向にルートが・・・・。
1時間近く山を歩き、明らかに事前の予習ではあり得ない道が出てきました。
このまま進んでもいいことはないと判断、撤退することといたしました。
赤矢印のルートを往復し、峠の案内の近くまで戻ってきた場所に戻ってきました。
登る時、ここで草刈りや右の標識の整備をされてる人が2人いました。
通る人が少ないのに整備してくれてるんやなぁと思いつつ登っていったのですが、実はこの右側に別の登り道があったというのを下りてきた時に気付きました。
しかも矢印で方向を示してくれています。
登りの時は2人が作業をされてることと、ちょうど字を書こうとしてるところで邪魔しないようにと思ったことで右の登り口に気付かず完全スルーでした。
大きな失態・失敗でまさかの撤退、さすがにここから登り返す意欲はありませんでした。
まぁ仕方ないですかねぇ~。
そんな訳で今回で踏破するはずの父鬼街道は途中リタイアとなってしまいました。
次回は父鬼から再スタート、ゴールへ確実に到達できるようにしたいものです。
もしかしたら父鬼からではなく、歴史の道報告書にある本来の街道だったかもしれない所からの再開するのもアリかなと少々思案をしております。
杉植林の山中を歩くので花粉のピークが過ぎてからですが、早々に歩くつもりです。
和歌山へ抜けてJR和歌山線で帰るつもりがまさかのバスでの帰宅。
1日4便しかないバスですが運よく40分待ちで乗ることができました。