<2023年10月14日>
土曜日の北国街道(北陸道)の後半です。
(前半は→ 北国街道<北陸道>⑤-1(鯖江→福井日赤) | Eddie's Diary (ameblo.jp) )
福井城下の木戸口のあった日赤病院を過ぎると再び県道に合流します。
この新木田の交差点あたりに木田荒町一里塚跡碑があるはず。
横断歩道を何度も渡り交差点周辺をさまよったのですが、
結局見つけることができずに進むこととしました。
帰ってから調べると交差点の手前にあったようで、
あと10mあまりの所で気付かず交差点へ戻ったようです。
新木田の交差点の次の角で左に折れていきます。
前方に見えるは足羽山。
神社に継体天皇像に博物館や公園などがあるテーマパークのような山!
例によって山を眺めるにとどめてしまいました。
街道は足羽山のふもとまで直進後右折し山裾を進みます。
大きな鳥居は南北朝時代の武士新田義貞が祀られてる藤島神社。
ちょっと行ってみたくなる雰囲気のある神社でした。
県道から足羽山方向へ曲がって以降、羽二重餅を商う店が多く見られました。
この店はまだ12時台なのに本日売切れになってました。
福井の羽二重餅、柔らかくて美味いんですよねぇ。
バス停にある左内=幕末の志士橋本佐内のことです。
歴史好きな当方ですが幕末には疎くて人物をよく知らないのですが、
このすぐ近くの公園に墓と像があるようです。
幕末の歴史が好きな方にはオススメスポットかも。
大きな三叉路を右折し足羽川を渡っていきます。
足羽川にかかる九十九橋、今は普通の造りの橋になってますが、
江戸から明治期にかけては手前南が石造、北が木造だったとか。
その不思議な姿、ちょっとイメージがしづらいです。
九十九橋から見る足羽川と街並み。
左端のさらに向こうに福井駅があります。
この交差点ので右手に反れて行きますが、一旦右折しコンビニへ。
ファミマ後、ここで斜めに入っていきます。
呉服町商店街は福井城下の最大の繁華街だったところです。
が、人通りが全くありません。
福井も他の旧街道の町と同様にわずかの店しか営業していませんでした。
昭和まで中心商店街だったらしいですが、福井駅からもけっこう離れてますし、
昔の賑わいを戻すのはちょっと難しそうですね。
繁華街を過ぎれば街道は複雑に右折左折を繰り返していきます。
福井の城下町には街道ルートを示す案内などが全くないので、
城下町の中を歩く際は事前の予習が必要かと思われます。
福井鉄道の線路が走る県道を渡ったら左のビルの横へ入っていきます。
昔は桝形に曲がっていたところでしょうね。
裏道をしばらく歩いたらまた松本通りに戻ります。
松を植えてるのは松本通だから???
再び枡形に曲がり、北陸銀行脇へ進みます。
どこにでもありそうな住宅街ですが城下町の北の出入り口、加賀口御門跡です。
関ヶ原後、家康の次男結城秀康が福井城主となったのですが、
加賀前田家への備えとして加賀口御門を中心として堀と土塁を築いたそうです。
ここまで城下町らしい古い建物が全くないと思われる方がおられるかも?
実のところ歩いてみても皆無と言っていいくらいに古建築がありませんでした。
(街道沿い以外にはあるのかもしれませんが・・・・)
福井の街は戦時中の空襲と昭和23年の福井地震で壊滅的な被害に遭い、
今ある建物はそれ以降に造られたものであるようです。
戦災と震災が続けざまに来ては福井の街は相当の苦労があったかと思われます。
さて城下町を後にしてすぐに松本荒町一里塚跡。
今度はちゃんとチェックできました!
一里塚跡のすぐ先でまた左折右折をして次の宿場町へ進んで行きます。
が、一里塚から200mあまりの踏切でおひらきとしました。
あと4kmあまり先のJR森田駅を目標としていたのですが、
写真を撮ったり史跡を見ていると予定の特急に乗るには微妙....。
1本遅らせればいいことなのですが、ちょっと拘りもあったため、
少し予定より短縮の18kmほどで切り上げることといたしました。
この日のゴール地点から200mほどのえちぜん鉄道のまつもと町屋駅。
終点の福井駅へ行く1両編成の電車はけっこう混雑していました。
いつもの街道歩きでは帰路につくところで終わるのですが、今日はオマケ付き。
福井駅からほど近い福井城址へ行ってきました。
県庁と県警本部が鎮座する城跡には堀と石垣、
そして天守台が残るのみで少しばかり寂しさを感じました。
堀の水面に映る石垣が最も印象に残る福井城プチ散歩でした。
以上、今回の北国街道(北陸街道)の歩き旅でした。
次回は来年、福井県から初の石川県入りを目指すつもりです~