あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
<2023年1月2日>
5年続けて西国街道の旅から始動です(1月2日に歩くのは4年連続!)。
翌年の干支の年末詣に加え、年始の西国街道もすっかり定番化してしまいました。
(前回は→ 西国街道⑰-2(岡山→吉備津) | Eddie's Diary (ameblo.jp) )
4時前に車で自宅を出発し、明るくなる前に岡山駅近くの駐車場着。
岡山駅から吉備津駅へ移動し、駅西のJR桃太郎線の踏切から出発します。
旧街道らしい幅の道を西へと少し進み・・・・
板倉宿へと入りました。
すぐ近くの吉備津神社と海を挟んだ向かいの讃岐の金毘羅宮の名入り常夜燈。
南北へ行く道と交差する交通の要所、旅籠が70軒もあり栄えたそうです。
古い建物もいくらか残り、今は静かな装いの宿場町です。
本陣は町のコミュニティハウスになっていました。
宿場町を出る所で昔からの(?)南北へ通じる道との交差点から、
少し外れた箇所に昭和60年に復元された道標が立っていました。
松山は愛媛の松山市ではなく、現存天守備中松山城のある高梁市の方向です。
旧道風情のある西国街道、字のごとく西へ西へと進みます。
道幅が広くなって前が開けました。
今年も冷え込む岡山市、昨日の最低気温は0.5℃。
太陽が昇ってもしばらくは氷のような冷たさです。
斜めにクロスする県道は岡山市北区から倉敷市にはいりますが、
岡山市と倉敷市の境界線となる街道を直進します。
200mほどで足守川に突き当たるので、下流側の県道で渡り対岸へ。
対岸の土手から旧道を下りる所に・・・・
明治期に建立の奈良の大峯登山の供養塔。
身近な大峯山の文字を見てちょっと嬉しい気分になりました。
道の先の交差点に道標が立っています。
土手からは別の道もここへ下りてきており、そちらを歩いた方もおられますが、
古地図や歴史の道報告書を見る限りでは、当方が歩いた赤矢印が正解と見られます。
道標の向きもそれに添って置かれてるのでたぶん間違いないかと。
その道標、指差し型はまぁまぁ見かけるのですが、
なんと扇子で方向を指し示していました。
珍しいですよね。
「 金毘羅 庄早島 くらしき」
「 川辺 そう志や やかげ 道」
「 吉備津 大坂 岡山」
道標のすぐ先にある鯉喰神社。
備前国ではよく見た備前焼の狛犬、ここ備中国にもいました!
街道は緩やかな坂を登っていきます。
山陽自動車道をくぐり、広い道へ入るところで再び岡山市北区へと入ります。
倉敷市は北へ飛び出してるわずかの区間でした。
コンビニでしばし休憩~、冷え切った体を温めました。
このあたりは古代吉備国の古墳の多い地域だったようです。
街道のすぐ横に、そして改修工事中?の古墳。
なのですが古墳を見慣れてる当方はサラッと見て通過してしまいました。
県道と合流するところにあった道標。
「左 いなり道」のいなりとは岡山で最も初詣客が多い最上稲荷のこと。
さぞかしこの3ヶ日は大混雑していることでしょう!
県道に入ってすぐに総社市へ入ります。
旧道は県道から反れていきます。
総社市は古代吉備の里を売りにしているようですね。
道標が多く見られて嬉しい街道旅です。
今度の道標は大正年間のもの。
車を持つ人がほとんどなく、歩く人がまだまだ多かったということですね。
「あしもり江き」 「をかやま やかげ」
一旦県道に入って今度は南側に入っていきます。
このあたりも旧街道の雰囲気が立ち込めている箇所でした。
造り酒屋のなまこ壁、イイ感じです!
道標「国分寺詣道」
街道から県道を挟んだ北側に備中国分寺があります。
奈良時代建立の国分寺の流れを汲んだ寺で、江戸後期再建の五重塔があります。
街道から見える場所は多くないのですが、集落を抜けたところから塔を撮影~。
創建当初の国分寺と国分尼寺跡もあり見てみたい思いもありましたが、
少し離れてるのもありまたの機会にとっておくことにしました。
岡山県内は「西国街道」ではなく、「旧山陽道」の表示が主となっているようです。
「金」の字の入った常夜燈。
金=金比羅山を示すそうです。
金比羅さんのある讃岐国に近いだけあって、金毘羅信仰が強いんでしょうね。
お決まりの「旧街道には郵便局」。
一里塚跡がありましたが○○の一里塚とは呼ばれていないようでした。
昭和30年頃まで大きな松の木があったそうです。
小さな峠に向けてまた坂を登っていきます。
昨日はほとんど平坦な街道歩きでしたが坂らしい坂はここを含めて2ヶ所だけ。
県道と合流する手前で来し方を振り返ります。
古代に吉備王権が栄えていた地は今では田園地帯です。
小さな峠を県道が下っていくところで左に分岐する道がありますが、
このまま直進するのが旧街道ルート。
古地図では微妙にくねっていた旧街道ですが、現代の街道はきれいな直線です。
まっすぐ歩き続けたらJR伯備線の踏切を越えていきます。
踏切の先、川の堤防に当たるところで南へ(左へ)曲がります。
高梁川の土手を歩きますが歩道がなくて危ない!
正月ですが通行量が非常に多く、車がいない瞬間に急いで撮影~。
堤防は造り直されたりしてるので、この辺りに街道があったのかな??
と考えつつ注意しながら歩きます。
休憩する場所がなかなか見当たらないので街道から200mあまり離脱、
伯備線の清音駅でエネルギー補給しました。
休憩を終えると街道歩き再開。
高梁川を渡ると総社市から再び倉敷市です。
川を渡って土手から見下ろす旧街道。
次の宿場町川辺宿に入ります。
ちょうど宿場の入口に川辺一里塚跡がありました(大正期の川の改修時に移設)。
宿場町の川辺宿、見た限りでは古い建物はこの1軒のみ。
2018年7月に豪雨による川の堤防決壊で広範囲が浸水したのがこのエリア。
倉敷市の真備町といえば思い出される方もおられるかも?
一帯が水浸しになったため古民家などはなく新しい家ばかりです。
本陣だった場所には今は歯科クリニック。
説明板を見ると明治26年にも大洪水があり資料などは喪失とのこと。
古い時代から規模の大小はともかく洪水に悩まされてきた土地のようです。
脇本陣も跡碑だけ寂しく立っていました。
余談ですが・・・・
川辺宿近くにあの金田一耕助シリーズの作者横溝正史が疎開していました。
金田一耕助デビュー作の「本陣殺人事件」は川辺宿が舞台になったそうで、
小説に出てくる「川ー村」は川辺村、「高ー川」は高梁川、「清ー駅」は清音駅。
「八つ墓村」や「獄門島」など他の本のアイデアの元となった場所もあり、
それらを歩いて訪ねることができる川辺宿周辺。
中学生になって大人の読書へのきっかけとなったのが金田一耕助シリーズの当方。
住居や資料館もあるので時間を取ってムリしてでも行きたいところでしたが、
いかんせん昨日は1月2日で休館日。
先の国分寺などと合わせて改めて訪れることにすることにしました!
(下記MAPのリンクです kindaichi_map_mabi.pdf (kurashiki-tabi.jp) )
川辺宿を出るとスーパーや郊外型店舗も見られ、旧道風情は全くありません。
細い川を越えていますが、この川も堤防決壊。
後方から前方へずっと浸水エリアが続きます。
ほぼほぼ西向きですが、右折左折する箇所が一つだけありました。
その後はまた西へ西へ。
川辺宿からは単調な街道歩きになってしまいました。
箭田一里塚跡がありましたが碑だけ。
この先で国道486号線に合流します。
国道の脇に旧道の痕跡が100mほど。
それ以外は街道風情がなくなってしまいました。
やはり過去から繰り返す水害と交通整備のためでしょうかね。
この日最後の旧道分岐をしましたが、右手は家並みはなく田んぼ(畑か?)。
セブンイレブンの西側、国道に再会するところで新年の街道旅はブレイク。
もうひと駅先まで歩くことも考えていたのですが、
単調な風景が続きそうなので、予定より早く切り上げました。
井原鉄道の備中呉妹駅から清音駅経由で車を停めた岡山駅へ。
帰って調べてみると高梁川からこの備中呉妹駅までほぼほぼ浸水。
水害の凄まじさを感じさせられたしだいです。
今回は終盤は風景の変化が乏しくなり1回でまとめてしまいました。
さて、次回の西国街道の旅もやはり来年の正月になるのでしょうか。
今度は岡山県を出て広島県入りするかどうか、となります。
節約して高速を使わず下道で岡山入りするのもそろそろ限界に近づきそうです。