日光例幣使街道③(福居→大平下) | Eddie's Diary

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メインテーマのない気まぐれDiaryです。
旧街道を歩く旅、ダイビング(休止中)、山登り、ムスメや日々の出来事
などなどをつづっております。
大阪人ですがあちらこちらへ出没します~。

<2016年11月4日>
歩いてから1週間が過ぎてしまいました。
1泊2日の日光例幣使街道の旅、2日目です

東武福居駅近くから6時半に出立です。
前日は夕陽を背に受けて歩きましたが、2日目は朝日に向かって進みます。
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東武伊勢崎線を越えて東へ。
少しずつ日が高くなってきました。
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庚申塔のあるところは道なりに。
右手に街道らしい細い道があるのですが県道を進みます。
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うなぎ屋の角を曲がると梁田宿です。
新しい碑が宿場を示していますが、村の中心部だったことが感じられる程度で、
ここも宿場の趣きはほとんどありません。
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梁田宿を過ぎたところで渡良瀬川に突き当たります。
かつてあった渡し舟はないので下流の橋に迂回し歩いて川を渡ります。
余談ですが・・・・
渡良瀬川といえばやはり森高千里の『渡良瀬橋』を思い出しますね。
ここで渡ったのはその渡良瀬橋ではないのですが、前日泊まった足利市駅近くにありました。
現地に行ってから分かったのですが、足にマメができかけてて歩くのがつらくて断念。
車から夕陽を見ることになってしまいました。
それにしても森高千里はオバサンな年なのにキレイすぎる~!
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川向こうの川崎天満宮から再び街道がスタートです。
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その先は街道が消滅しており、右左折を繰り返して街道が復活するのを待ちます。
平日だったので出勤する車でこんな田舎でも渋滞が起こってました。
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街道が復活した後は、古墳群を回り込むように右へ歩を進めます。
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県道と合流するところにあった道標。
元文5年のもの、西暦でいうと1740年。
かなり年季の入った道標です。
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小さな川を迂回して越えたところから、足利市から佐野市になります。
大阪人の当方は佐野というとついつい泉佐野市をイメージしてしまうのですが、
こちらは頭に何もつかない栃木県の佐野市です。
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JR両毛線に分断されたりしますが、このあたりは街道の雰囲気が残る旧道歩きができます
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佐野市の中心部、天明(てんみょう)宿へ入ってきました。
佐野宿、ではないんですねぇ・・・・。
そしてゆるキャラさのまるがお出迎えです。
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天明宿は県道沿いなのですが、古民家も残っており昔の栄えた姿が
わずかながら忍ばれました。
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ゆるキャラがなんでラーメン鉢かぶってるのかと思ったら、
佐野ラーメンっていうのがあるんですね。
さのまるは一生懸命佐野ラーメンの宣伝に努めているようです。
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佐野市のコミュニティバスの名前は「さーのって」号。
ベタですが分かりやすいネーミング、さのまるはここにも登場してます。
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小さな神社ですが思わず撮影。
名前が西宮神社、まさか関東に?と思ったら・・・・、
やはりえべっさんの西宮神社から来たようでした。
境内が小さいので福男選び競争をするのははちょっとムリそうですね。
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ただ今街道は北へ向かってます。
JR両毛線に続き、東武佐野線と交差します。
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街道は再び東へ進路変更。
天明宿からたったの3kmで犬伏宿へと入ります。
小学校が本陣跡らしいのですが、そんな気配も痕跡も示すものもありません。
旅籠が40軒もある比較的規模の大きな宿場だったそうですが・・・・。
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普通ならスルーしてしまいそうな薬師堂。
真田の六文銭の登りが立っています。
真田父子はが関ヶ原の合戦に臨むに際し、東西どちらに付くか協議した「犬伏の別れ」が
この薬師堂で行われたと言われているそうです。
たまたまですが奇しくも真田丸のドラマのある年に街道がらみで
上田城、九度山、高野山、そしてここ犬伏へ。
ついでに言うと抜け穴があると言われる大阪城も先月行きましたし~。
でもドラマは見てないんですよねぇ~。
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犬伏宿から先は概ね単調な県道歩き。
東北自動車道とアンダークロスし・・・・、
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栃木市へ入ります。
この手前に道標があったようですが、右側を歩いてたので気づかず通り過ぎてしまいました。
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歩道のない所もあって、しかも交通量が多く歩きづらい!
短い距離ですが3ヵ所脇道があってひと息。
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JR岩舟駅へ上がる角にあった道標。
「岩舟停車場 鷲巣」「犬伏佐野方面 栃木小山方面」、
停車場とあるから明治以降のものですね。
前日足の裏にできかけたマメ。
悪化しないようにこの日はスローペースで歩いて、しかしどこまで行けるか疑心暗鬼でした。
最悪佐野駅、なんとか岩舟駅までと思ってたのですが、まだまだ行けそうです。
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泉州の人間は、こんな遠くで和泉の文字を見ると何となく心が和らぎます。
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その和泉交差点の先で左折し県道とお別れです。
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当ブログのお客様が歩かれた時は桜が満開だった和泉天満宮
今は秋の空の下、爽やか且つ寂しげな趣きです。
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広い県道と2度交差をしながら旧道歩き。
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富田宿では火の見櫓がお出迎え。
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例幣使街道を示す案内板、町ではなく個人で掲げられたのかもしれませんね。
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富田宿の中心部、本陣のあったあたりです。
例によって静かな旧宿場の風景。
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元病院だった洋風木造建築の建物。
味がありますよねぇ~
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はい、富田宿を過ぎた何の変哲もないこの角で、
足のマメが少し痛くなってきたのと、次のアクセス地点までの距離、
そして自宅までの距離と時間、それらを考えこの丁字路で
2日間の日光例幣使街道Walkはおひらきです。
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今回も最大目標(栃木宿)には思うようには行けませんでしたが、
2日で48~49kmといったところでしょうか、
基本目標の富田宿には何とか到達することができました。
 
今回の終点から約100mでJR両毛線大平下駅へ。
大平下駅からは車を預けたホテルのある足利駅へ戻り、
そしてできる限り高速を使わず自宅のある大阪へ10時間余りかけて帰りました。
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さすがに栃木県の真ん中まで来ると、車を使ってというのはしんどいですね。
次回は東京出張を利用するか夜行バスかなぁ・・・・。
日光街道の本道も宇都宮止まりやし、日光へたどり着くのはまだまだ時間がかかりそうです