高野街道③-1(学文路→極楽橋) | Eddie's Diary

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旧街道を歩く旅、ダイビング(休止中)、山登り、ムスメや日々の出来事
などなどをつづっております。
大阪人ですがあちらこちらへ出没します~。

<2014年5月31日>
5月の最終日の今月5回目のハイキングは、街道Walkを兼ねることにいたしました。
3年前の5月に中高野街道に手をつけ、4方向から高野街道に統合しついにクライマックスです。
今回が高野街道の最終回(の、その1)、一気に聖地高野山へ登って行きましょう。

 

南海高野線学文路駅東側の踏切を越え、いきなり急坂です
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道を間違えそうな場所や分岐点には路面に高野街道の表示が。ありがたい~!
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んっ?人魚のミイラ?
このお寺で見せていただくことができるそうですよ。
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標高70mほどの学文路駅からたった10分でここまで登ってきました。
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高野山まで800mの高低差があるのですが、ほとんどがこんなアスファルト道。
同じ高野山へつながる有名な町石道が古い時代の道であるのに対し、
高野街道は新しい時代の道であるがゆえにアスファルト化され、世界遺産に指定されなかったのかも。
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しかし新しい道であるために人の営みも今に続いているのでしょうね。
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最初っから延々と登り続けてるので、お花畑に少し癒されてみましょう~。
このあたりでは橋本市からすでに九度山町に入っています。
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と、思ったら今度は下り坂。
これまで登った高度をそのまんま下りていくようです。
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かつての宿場、河根宿まで下りて、その後向かいの山を再び登ることになります。
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集落にはかつての本陣も残ってました(右側の門の家)。
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二里石の立つ千石橋を越えると高野町に入ります。
高野山まであと二里8kmです。
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さて、改めて高度を800m近く上げていかんとあきません。
ここからの坂がまたキツイんですわ・・・・。
あまりにもしんどい坂が続くのと、風景が変わらないのでここで写真は激減してしまいました。
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薪が積んであって、荒れ果ててる気配もないのですが、どうも人が住んでる様子はありません。
こんな家がけっこう見受けられました。
なのに、交通量が意外と多くて頻繁に車が行き交ってたのがフシギ~。
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50分間のハードな登りが少し落ち着きましたが、けっこう暑い。
「涼しい高野山」を想定して山用長袖を着てきたんですが誤算。
なんでも今日は高野山では5月の観測史上最高の27.4℃だったそうです(那覇も27.4℃でした)
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いくつかの道標とともに最後の里程石(一里石)が立ってました。
あと4kmです!
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ここから高野山に一番近い宿場、神谷宿のエリアです。
神谷の村は相当に栄えた宿場で大正時代になっても旅館が16軒あり、
700人以上の旅人が泊まれるほどの規模を誇った宿場でしたが、
南海高野線が昭和4年に極楽橋まで全通、翌年にケーブルカーが出来たことに伴い、
またたく間に寂れ、見る影もなくなったそうです。
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ちゃんと人の住んでる家もあるのですが・・・・
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小学校はいつの頃からか休校状態。
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何百mか歩けば、紀伊神谷駅があるのですが、南海電鉄において一番乗降客の少ない駅。
鉄道が開通したことで駅の必要度が極端に低下していったのでしょう。
逆に大手私鉄の秘境駅ということで乗り降りする人もいるとか・・・・。
興味はあるのですが、駅を示す矢印を撮るにとどめました。
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こういう所で生活を続けていくのは厳しいと思うのですが、
歴史ある宿場町を残していこうという思いをおそらく持っておられるのでしょう。
今、当方のように旧街道に興味を持って歩く人が増えていることが、
村起こしにつながってくれればと思うのですがどうでしょう・・・・。
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この車はいったいいつからこの状態?
荷台から草が生えてきてます~。
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神谷宿を出て高野山まであと3kmあまり、高度にして約300m、
まだ10時前、時間はたっぷりあります。
慌てず急がず、先を進みましょう~
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学文路駅を出て接することのなかった南海高野線が近づいてきました。
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緑の中を少し下っていくと・・・・
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極楽橋が見えてきました。
こちら側からはどんなポジションからでも電柱やケーブルが写り込んでキレイに撮れない・・・・。
美しい姿の橋なんですけどね・・・・。
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この極楽橋が現世と聖域である高野山を分けているという意味があるそうです。
なので、この高野街道最終回の記事も一旦ここで分けておこうと思います。
続きは後日~