<2014年5月4日>
GWの4連休の2日目、いい天気の中、少し遠出の街道Walkです。
今回は初めての御鮨街道、おすし街道と読みます。
長良川で獲れた鮎を徳川将軍に献上するために鮎鮨に加工して運んだ、
ということからその名がついたそうで鮎鮨街道と呼ぶこともあるようです。
江戸か京、鮎か鯖かの違いはありますが、若狭からの鯖街道とイメージでは似たものを感じるかな・・・・。
しかし、道中の風景は鯖街道とはまるで違いましたよ~。
では、出発です
ここは長良川にかかる長良橋。
左手に岐阜城のある金華山を見ながら歩き出しました。
長良川といえばやはり鵜飼が有名です。
御鮨街道の起点である長良橋の南のたもとがその鵜飼船の乗り場です。
ちなみに料金はこんな感じ。
この価格ってこんなもん?それとも高い?
鵜飼乗り場から歩き始めると、いきなり風情のある町並み。
電柱のないすっきりした空間がイイですね。
今回の見どころは実質ここだけ、なのでじっくりご覧下さい~。
風景は昔の趣をしっかり残してるんですが、けっこう車はぶっ飛ばして走ってました
だから「ゆっくり走ろう川原町」なんでしょうね。
川原町を抜けると岐阜市の市街地に入って行きます。
もうしばらくは古き家々が立ち並んでるのを見ることができます。
以前いた会社で、岐阜を担当してる時期がありましてね。
この道を車で走ったことがあるのに気付きました。
この看板の手前にあるうどん屋が美味かった~、というのを覚えてます。
旧家の脇に釣鐘が鎮座ましましていましたよ~。
完全に現代の街並みになってしまいましたね。
名鉄各務原線の踏切を越え、岐阜市の中心部(のちょっと東側)を突っ切っります。
JR東海道本線の高架の下はコメダに遮られて、まっすぐ進めません。
名鉄名古屋本線を渡ったところで、1年半ほど前に歩いた中山道(青矢印)と合流。
その時にアップした道標を再び~。
ここはちょうど加納宿にあたるのですが、1年半前の記憶がいまいち残っていません。
側溝のフタに御鮨街道って書いてあったんですね・・・・。
左右右左と何度も曲がって加納宿を抜け、ここで中山道と分かれヤマトカーについていきます。
名鉄竹鼻線と交差するところではすでに笠松町に入ってました。
問屋場のあった笠松では御鮨街道ではなく鮎鮨街道と呼ぶのが一般的?
笠松町役場近くの商店街を抜けると・・・・
復元された道標が立つ、木曽川の笠松湊です。
かつては川の水運が現代の高速道路並みに発達していて、ここ笠松も大変栄えたようです。
川べりに向かっては石畳が残されていました。
この上を大八車などで船に積む荷物を運んでる様子がなんとなくですが想像できます。
現在は舟運も渡し舟もないので、車が走る木曽川橋を渡り、愛知県一宮市へ。
対岸の宝江の渡し跡に立っていたのは力強い筆圧の道標、存在感がありますよね。
「右 津しま 起道」 「左 なこや道」
この先はフツーの住宅街や県道歩きになるので、すっ飛ばします。
名鉄黒田駅とJR木曽川駅北側の踏切を渡り・・・・、
街道らしいクネクネ道を歩き・・・・、
やっとコンビニを見つけました。
さほど田舎な道でもないのにコンビニが全然なくって、やっとトイレタイムを確保。
で、その先のセブンイレブンのある馬寄交差点で一旦ブレイクです。
できれば一気に御鮨街道踏破、あるいは最低でも一宮駅までと考えてたのですが、
しんどいわけでもないのにどうもこの日は気分が乗らず、少し手前で足を止めてしまいました。
まぁそのおかげで(?)、難波で赤いラピートを見ることができたんですけどね。
ということで、全く予定をしていなかった名鉄名古屋本線石刀駅から帰路につきました。
いしがたな駅って変わった名前~、と思ってたら読み方が違ってました。いわと駅、でした