おとといの上ツ道Walkの続き、初瀬(はせ)街道です。
今回のコースは厳密には○○街道と呼ぶ道ではないようなのです。
人によっては上ツ道の一部としてブログやHPで書いてる方もおられますし、
初瀬街道も桜井駅の南側が起点、もしくは今日の記事の途中が起点とする方もいるようです。
当方は、「上ツ道と分岐したところから伊勢へ向かう道として使われた初瀬街道」という解釈で、
大神神社からを初瀬街道と便宜上扱っていきたいと考えます。
で、その初瀬街道、当方が起点とした三輪から長谷寺を経由し、
三重県に入り松阪市で伊勢参宮街道に合流します。
また一歩伊勢神宮に足を進めることとなります。
出発は・・・・、といっても上ツ道からの流れで歩いたので、「いざ出発!」と言う感じは残念ながらありません。
国道169号線から大神神社へ入るところにある32mもある巨大な鳥居。
これを右に見ながら歩いて行きます。
知識不足なのでタイトルしかしらないのですが、あの近松門左衛門の作品の舞台がここに
しかし民家の庭の中のようだったので、入るのに躊躇してこの写真だけ撮って進んでしまいました。
ここが本当の大神神社の入り口のようです。
今は車を停めて森のような参道から入っていくのですが、そこは二の鳥居。
ってことは、ここが一の鳥居だったということですね(→ http://www.oomiwa.or.jp/frame/f03.html )。
大阪から伊勢神宮へ向かう人々も、この道から大神神社に立ち寄ったんでしょう。
街道らしき細い道幅の風景。
地図上では直角直角に曲がっていくので暫定道なんかなぁ~と思ったりもしましたが、
こんな道標が立ってましたから、古い道がそのまま残ってるのは間違いないようです。
「左 はせ いせ たふのみね よし野 大み祢山上」
「右 ????? 京 ??」
頭に記憶したつもりやったのに、2日も経つと飛んでしまいました。
メモしとかんあきませんね 。
郵便局と神社のある角を曲がります。
右左折を繰り返し少しずつ南東の方向へ進みます。
かなり年期の入った造り酒屋(→ http://www.begin.or.jp/imanishi/ )。
下戸ですが地酒が大好きな当方、おちょこ一杯なら飲んでみたい~!
三輪山の南の裾に向かって歩いていきます。
踏切に初瀬街道の文字。
これなら今回のルートを初瀬街道第1回としてもまぁ許してもらえるでしょう。
少しだけ県道と合流してすぐに分岐、去年の秋には歩かなかった山の辺の道の一部分に進みます。
海柘榴市(つばいち)という古代の市のあった場所、との説明板です。
ですが、案内文に舟便があったなどとありますが、いくら地形が当時と変わってるとしても、
ココは少し山すそすぎるというような気がするんですがどうでしょうか。
そもそも竹内街道からの道はもっと南ですし・・・・。
歴史に詳しい方のツッコミを期待したいところです。
大和川のたもとに出たところにある道標、天宝12年のものです。
「左 はせ いせ道」 「右 三わ なら道」
少し見づらくなってしまいましたね。
仏教伝来の地、の石碑と案内板です。
中国から海を越え、瀬戸内海から川へ入り、大和の地のこの場所で仏教が上陸したとか。
ここからしばらく大和川の土手を、続いて県道を1km近く歩きます。
国道165号線を横切り旧道に入ってすぐの三叉路でこの日の街道Walkは終了。
次回の初瀬街道Walkは、右からの(青矢印)竹内街道→横大路の到達を待ってからとなります。
それにしても奈良の街道は他の街道と違い時代のスケールが違いますね。
古いと言われる熊野古道ですら1000年ほど前のものであるのに対し、
仏教伝来で1500年前、卑弥呼は1700年前?ですから・・・・。
奈良ってスゴイ!!