Eddie's Diary

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メインテーマのない気まぐれDiaryです。
旧街道を歩く旅、ダイビング(休止中)、山登り、ムスメや日々の出来事
などなどをつづっております。
大阪人ですがあちらこちらへ出没します~。

<2024年10月6日>

10月最初の日曜日、昨日は少し遠出の街道歩きです。

1年ぶりの北国街道(北陸道)を歩いてきました。

前回のラストに石川県入りを目指すと書いたのですが、今回も福井県内で完結、約19kmの街道旅となりました。

(前回は→ 北国街道<北陸道>⑤-2(福井日赤→まつもと町屋) | Eddie's Diary (ameblo.jp) )

 

 

今年の3月に北陸新幹線が敦賀まで延伸。

初めてなのでサンダーバードから北陸新幹線へ乗り継ぐことも考えたのですが、コスト削減しつつもできるだけ早く現地着をすべく、新大阪~米原間で新幹線を使い米原からは在来線でという少し変則なパターンで福井入りしました。

 

さて....

前回のゴール地点、えちぜん鉄道まつもと町屋駅西の踏切から出発です。

 

踏切の先で広い道に入り北へ進みます。

小学校前の交差点にあったものは・・・・

 

コシヒカリって米どころ新潟あたりのものといういいかげんな認識をしてたのですが、なんと福井のこの地で開発されたそうです。

品種も増えた令和の時代ですが、コシヒカリ=美味い米というイメージは今も強いですよね。

 

車は左折させられますが、街道旅をする人は歩道から直進して旧道に入って行きます。

 

住宅街を抜け、そこそこ大きなマンションの角を曲がり東へ。

さらに県道の先で北へと方向転換していきます。

 

3月までJR北陸本線だったハピラインふくいの踏切を通過します。

第3セクター鉄道らしい名前、ですがどう見てもいまいちなネーミングです....。

 

県道に入った少し先から宿場町舟橋宿になります。

 

交差点名にも舟橋の名が付いてますが、とあるサイトによると九頭竜川の対岸の稲多宿の方が後に栄えたとありました。

実際舟橋宿について書かれてるものは少ないようで、存在感は薄れてたのかもしれません。

 

その九頭竜川のたもとにやって来ました。

 

手前に史跡がありました。

戦国武将の柴田勝家が橋の代わりとして船を48艘並べたというのが由来だとか。

 

橋の上から見る九頭竜川。

どうでしょう?、48艘の船で足りますかね。

梅雨や台風などで水量が増えれば60、70と数を増やす必要はありそうです。

 

川を渡り切ったあたりに稲多一里塚があったそうですが場所は特定できてないようです。

一里塚があったらしいこの地点から右手へ下りていく道があります。

歴史の道報告書では県道をそのまま進んだ先で右左折をして進むとの記載ですが、いくつかのサイトではここを下りていくと記すものもあり、明治の古地図ではその道がしっかりとルートを描いてます。

どちらへ進むか迷ったのですが、県道ルートではなく行った人が少ない下りルートを進むこととしました。

 

と、その前にいくつかの史跡とその案内板がありましたので、早々のプチ休憩を兼ねて熟読。

 

では稲多宿に入っていきましょう。

古地図を見る限りこのルートでは?という方の道。

 

そのひと筋西に移動し、歴史の道報告書にある道も歩いてみました。

どうですかね?

何とも言えませんが両者ともに古い家が全くないので宿場らしい趣きもなく、見るだけでは判別は難しいかと思います。

 

分からないので古地図ルートに戻って進みます。

おそらく戦後すぐの福井地震で軒並み倒壊したためか、古い建物が全くありません。

今どきの郊外の町並みという感じしかない宿場町です。

ただこのエリアの地名が古市なので、市が立つなどして宿場町らしく栄えてたのは間違いないであろうと思います。

 

この辺りで稲多宿エリアをおそらく出たのかと思います。

余談ですが、我がホークスの主軸である栗原選手が稲多宿近辺の出身。

彼を含む昔から今の子供たち、北国街道が自分たちの町にあることは知ってるのかな??

 

稲多宿から北西に向かって歩いてきましたが、この変則四つ角で北向きに進みます。

 

天満神社の先で福井市に別れを告げ・・・・

 

坂井市に入ってすぐに金戸まつや地蔵尊に迎えられます。

 

坂井市に入ると旧街道らしい道幅やうねり具合となり、田園風景も見られるようになります。

 

行く手を迷いそうな二股は左方向へ。

 

3月に延伸開業の北陸新幹線の高架をくぐります。

 

浄土真宗が盛んな地区らしく、街道沿いに親鸞聖人の史跡がありました。

街道から奥に入れば石碑や石仏もあったようですが、個人的にはあまり関心が持てず入口の写真だけ撮って通過しました。

 

旧道風情のあった旧道から県道に合流します。

昨日は10月にしては陽射しが強く、暑すぎる・・・・と頭の中で呟きながら進みます。

半パンでにしたらよかったかなとちょっと後悔気味の気分でした。

(でも朝はけっこう寒かったんですよ....)

 

地蔵堂のある所で左の旧道へ。

お堂の前には道標が立っています。

 

表面が削られたようで、ちゃんと読めません。

「左 ○○○き道」から何とか解読できないかWeb検索したもののなかなか見つからず。

やっとつい先ほど「左 よしさき道」であると分かりました。

よしさき=吉崎御坊、蓮如上人が室町時代に開いた寺院で、北陸での浄土真宗の布教の拠点地としたところだそうです。

 

北陸新幹線の手前に咲いてる白い花はそばの花です。

昨日は各所でそば畑があり、白い花が満開でした。

が、このそばの花の咲いてる所どこも臭いんですよ。

いわゆる田舎の香水というやつで、福井では牛糞を肥料に使ってるんやなと....。

とにかくどこもかしこもそば畑の横を歩くとクサいんです。

牛糞を栄養にしたそばを我々は食ってるのかとイメージダウン気味だったのですが、帰って調べてみるとそばの花自体が牛糞鶏糞の香りだとか。

そもそも花の匂いは受粉させるために虫を呼びよせるためなのですが、梅とか金木犀とかみたいな匂いならまだしも何故田舎の香水なんですかね。

菜の花もたいがいクサいのですが、少なくとも昨日の満開状態は菜の花を上回ってました。

 

古くからの集落の中を進み・・・・

 

続いて新しそうな住宅街へ。

この先しばらく治水や農地改良で旧街道が消滅。

消えた旧道ルートに近い所の道を行くことにします。

ということでこの角は左へ。

 

北陸新幹線を再びくぐります。

福井市の北端からはかなり東へ半円を描くように進む旧街道。

直進すれば歩く距離はだいぶ少ないのですが、おそらく川の流れや湿地帯があったためにロスの大きいルートになったのかと思われます。

 

新幹線の先でそばの花がクサいと思いながら水路の横を進みます。

(→ この時はまだ肥料がクサい理由だと思ってました)

 

このあたり風も日陰もなく一番暑かった時です。

 

兵庫川を渡ってサッカーグラウンドの横を行きますが、ここはまだ旧道ではないです。

 

直進してきて右手の祠から集落が始まりますので、ここからが旧道になります(たぶん)。

 

宿場町舟寄宿に入ります。

 

本日のアップはここまで。

1回でまとめるには冗長すぎるので、一旦ブレイクとさせていただきます。

続きはまた後日~ニコニコ