目の前の締切仕事をこなしていると、視野狭窄症ではないが、なにかとても狭苦しい場所に押し込められているような気分になることがある。
たとえその仕事の内容に多少の広がりや、コンテンツらしきものがあるとしても。

単純バグ取り作業、数万行という仕事でない場合も(こちらはむしろ、単純作業ハイが起きたりして、いわば異次元世界だがw)。


だが、たとえば株のことが、ちらとでも頭をかすめると、「広がる」。体勢からゴキゴキと音を立てて変わると感じるほど風通しが良くなる。なぜだろうか?

もっともだからと言って、日計らいなどやって終日ディスプレイにかじりついたりしていれば、同じ狭窄に逆転するのだろうけれども。

株が頭をかすめるということは、政治経済社会金融のことが頭をかすめるということかというと、全く違う。密に関連してはいるが違う。株から政治経済社会金融へということはあっても、逆ではない。この「後先」が重要なファクターになっているようだ。


株情報というのはある意味、とても不思議なものだ。
企業の活動は言うまでもなく、政治経済社会金融の動き、世界の動きに密接しているけれども、まったく違う情報の顔をしている。

ほかに何かあるだろうか? 

ふと頭をかすめて、視野に風穴があいて、さあっと晴れ渡るような、空気が入るような気分、体勢に変われるものが?


株で広がる視野、いや「株で広がる世界」(爆)。
入門編でよく聞く台詞でもあるが、違う。そういう広がりではない。社会経済の動きに強くなれる、社会勉強ということではないのだ。ま、趣味嗜好にも依ることもかも知れないが、ひょっとすると株というものだけが持っている魅力なのかも知れない。


あらためて考えてみたい。


といったところで咄嗟に思い出したことがある。
頭をかすめるときの株とは、操作性であり、道具であり、ツールとしての働きを秘めた株ではないのか?

操作、ツール、道具の直接性。
(法に触れる株価操作とは一線を画すとして)。


ここで思い切り飛躍するが、米国9.11テロの発生直前、直後のあの航空会社の株価の大変動が思い出される。

なんと謀略説本に、これに触れたくだりがあって驚いた。


ベンジャミン フルフォード, Benjamin Fulford
暴かれた9.11疑惑の真相

というわけで、虫駆除に戻ることにする。