目が覚めたらもう日曜日になっていた。
なんかガラガラポンな感じ。
いろいろあったけど、みんな夢だった
みたいな感じ。
マスターと女性の視覚性について話したのだが、
オスにとっては、そのときそれしか見えるものはなかった
のではないか。ほんとうは。
フィギュールなどというものはなかった、そういう視野は存在していなかったのではないか。
あの人の姿、なんてものはめっちゃモダンなものであって。
それなら近代の主体などというお化けの正体も分かるのだ。
そんなものを前提にした他者論など破綻しているはずだ、そもそもが。
あの人の姿形、なるものがそもそも近代のお化けなのである。
あのときそのときの視覚、視野以外には他者性に関わる視野は存在しなかったとすれば、そもそもが他者理解のアポリアなどそれ自体が存在しない。まやかしの問いなのだ。
関係、記憶、視覚、像、視野、写像、肖像、写真、家族の写真、アルバムなどなどの虚妄を暴かなければならない。
注)エンジンは解離性人格障害の状態にはない。少なくともいま現在は(笑)
Don't believe in modern love.
Destroy the portraits.
もしくは唯識論の脱構築へ。