形而上学

久々にハイデガーの『形而上学入門』を手にした。
「なぜ一体、存在者があるのか、そしてむしろ無があるのではないのか?」というライプニッツの問いの一行から語り出された講義録。
本屋で目に入って思わず買ってしまった平凡社の文庫版。探せば理想社のハードカバーが部屋の何処かに眠っているはずだが、冒頭の一行に押されて買ってしまった。
しかし、実に雑な製本だ。まったく手になじまない。製本というより紙質のせいだろう。


キーナート報告書
野球解説で知られたマーティ・キーナートが東北大学へのアドバイスをまとめた報告書がウェブで公開された。


最初、あのキーナートだと気づかなかった。また、東北大学のキャンパスを訪れたこともない。なので、なんとも言えないところが多いのだが、歯に衣着せぬ率直な提言は気持ち良いとしても、「研究しかない」という論点はかなり気になる。研究しかないのが、東北大学の「欠点」だという論点である。


「なぜ一体、存在者があるのか、そしてむしろ無があるのではないのか?」という問いがもし研究と呼ばれるものの一端でもあるとした場合には、それは鬱蒼とした黒森こそが似つかわしいのであって、キーナートが言うような「文化」の場とはむしろ無縁であって当然だろうとも思えてくる。もっとも研究の位相が違うと言われればそれまで。


現在の大学における「研究」の水準への問いとして考えるなら、一東北大学に限らない、多くの大学に向けられたものとして読める。報告書を読む前に、ハイデガーを読むと、そうとう感想は違ったものになるだろう。特にハイデガーである必要もないが、何か極北を思わせるようなもの。そういうものが、この報告書には、きれいに抜けているのが見えてくるだろうから。



マルティン ハイデッガー, Martin Heidegger, 川原 栄峰
形而上学入門