“俳句と方程式” という風変わりな題名のブログが、時間と空間の概念について素描している。
にわかに正確なものとも、アイデアとも、なんともつかないところはあるが、TAZはひょっとしてそういうものなのかもしれない。“そういうもの”とは何か?
俳句と方程式氏によれば時間は外挿であるらしい。客観性を重んじる物理学に、意識(主観)が混入しているのではないかという仮設(仮想)だ。「意識(主観)」とは書かれていないが、そう読める。
で、TAZだが、それは“物質的時空”へかぎりなく意識(主観)が削がれていく状態、空間を言うのではないか。
ここで空間(場)はひとまず意識(主観)とは独立の実在である。俳句と方程式氏はこう述べている。
「(中略)どうも時間性を越える態度を言いたかったようで、擬人化して申し訳ないが、ミクロの世界の物質には、振り返る過去もなければ、思い描く未来もなく、ただ営々と、つねに現在であるその位置の連続によってのみ運動している(ように観測される)、そういう態度のことを言われているように思えたものだ。」
ところでこういうTAZへの接近は、ハキム・ベイの言うところに即してはいない。Temporal Autonomous Zone というキー概念をめぐる、坊主や、SEのannoyさんたちとの雑談から得られた「確信的」理解のみを拠り所とするものに過ぎない。
ハキム ベイ, Hakim Bey, 箕輪 裕 T.A.Z.―一時的自律ゾーン
アマゾンのレビューなどを目にしたがために、目の前にその著書があるにもかかわらず、本文に入ろうという気が抑制されている。なぜなら、談論風発で得られた’場’による「確信的」理解のほうが、よほどTAZの真相に近いではないかという強固な信頼があるからだ。
ま、坊主も本を入手したというし、またまた先に読んでもらって坊主に突っ込むという展開にしようかと。
これぞ”本願他力的”読書法の神髄である(笑)。
Maltitude対TAZの対決は、まだまだ先の話となりそうだ。