本日、2022年3月6日です。

 

もう既に4本目のブログを本日書いています。

 

さて、マイダンと言う言葉も良く耳にします。これは一旦何なのでしょうか。

早速調べてみました。

 

 

2014年にウクライナ危機がありました。ウクライナ騒乱とも言われています。

 

そのウクライナ騒乱が「マイダン革命」(別名:ユーロ・マイダン)なのです。

 

この画像がマイダン広場です。

 

 

それでは、何故「マイダン革命」が起こってしまったのでしょうか。

 

その前に歴代大統領を確認しておきます。

 

これから語る上で、歴代大統領をある程度知っておく必要があります。

 

今回、語る上で必要な人物は、ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ元大統領(2010年2月25日~2014年2月22日)、そして暫定政権のオレクサンドル・トゥルチノフ大統領代行です。
 

2014年2月に首都キエフでマイダン革命(ユーロ・マイダン)革命が勃発します。

この革命は、ウクライナ政府側ととマイダン・革命デモ参加者の暴力的衝突となります。

 

そして、ヤヌコーヴィチ大統領が失脚し、隣のロシアへ亡命することになります。

このヤヌコーヴィチ大統領は、親ロシア派の大統領です。

 

当初、ヤヌコーヴィチ大統領はEU連合と協定を結ぶ予定でしたが、汚職や経営管理の誤り、経済成長の停滞、フリヴニャの平価切り下げや公的市場からの資金調達という様々な問題を抱えていることもあり、EU統合は見送ることになりました。

 

EUに加盟することは、なかなか難しいのです。

 

目先の「冬を越す」ために、やむをえずロシアとの接近を図った格好となります。

 

この行動が、マイダン革命(ユーロ・マイダン)を引き起こす原因となります。

 

ウクライナの治安部隊はデモ活動の鎮圧に努めましたがが、デモ活動は高まるばかりでキエフの通り(マイダン)で激しい衝突が起こります。

 

2014年2月21日にヤヌコーヴィチ大統領と野党リーダーらが危機回避の文書に署名します。

 

ヤヌコーヴィチ政権側は憲法改正、大統領選の早期実施などの譲歩を行ったわけです。

 

しかし身の危険を感じたのか、ヤヌコーヴィチ大統領は首都キエフを離れて、東ウクライナに脱出、憲法改正法への署名を拒否したのです。

 

最高会議はこれを職務放棄と見なして大統領の失職を宣言した。

代わりに議会議長のトゥルチノフ氏が、大統領代行を兼務することになります。

 

このトゥルチノフ氏の政党に注目してください。

政党は全ウクライナ連合「祖国」です。

 

前回のブログで「ネオナチ」について語りましたが、そのネオナチに値するような極右政党である全ウクライナ連合「自由」と言うのがあります。

 

そして、この全ウクライナ連合「祖国」は、「自由」ほどでの無いにせよ、ポピュリズムであり、反ユダヤ主義で、民族主義の政党です。

 

反ロシア的な立場を持ち、ロシア語の第二公用語化には反対していました。

 

2004年のオレンジ革命もそうだったようで、ずっと続いていて、今日に至るのではないでしょうか。

 

このマイダン革命は多数の死者も出ているようです。