てなことを主題とする単行本の過激編集を、
なんとかゲラ出しの段階までもっていったのは先週の金曜日のこと。
たまたま、〈災後〉に読む和辻哲郎『倫理学』も、
第三章 人倫的組織 第二節 家族
にさしかかっているところで、
或る意味、この読み会は支えになった。
別に内容的に反映したりしなかったりということではないけれども。
で、意識が集中してると、関連するものは向こうから黙っててもやって来る
ってことはよくあるもので、
昨日、いつもは見向きもしないほとんどデッドストック棚になっている書棚に、
『現代思想』1985年の6月号「特集=家族のメタファー」というのが、
目に飛び込んで来た。そこに置いてあったことさえ綺麗に忘れていた。
結局、30年近くも前に出たこの雑誌に〈フェミニズムと家族の無意識〉と題された、
吉本隆明と上野千鶴子の貴重な対談が収録されていることに、
初めて気づくことになった。まだお二人とも若い。
なかでもうら若い上野千鶴子氏が、吉本隆明の胸を借りて、
迫るのも初々しい。
なかで上野氏の重要な一言。
「いま女が仕事に出るのは、妻・母役割から逃れるためじゃないんです。
妻・母役割をまっとうするためなんです。」
家族解体的なリブを否定する発言で、ここは隆明伯父さんも理解を示すが、
しかし時代は、あれからどうなったか?
エンゲルスを引いて、リブとは無関係に、
時代の水準として進む家族解体を、すでにこの時に予言した吉本の発言のほうが、
今となっては当たっているかもしれないと思える。
いや、本音は今も上野の言うとおりであってほしい。
しかし、個々の思いの与り知らぬ水準で、
ある変容が進行しつつあるのも確かだろう。
なんにせよ、事態は微妙だ。