『吉本隆明『心的現象論』の読み方』を読む:001 | 編集機関EditorialEngineの和風良哲的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorks

三賀日の三日に届いた宇田亮一著『吉本隆明「心的現象論」の読み方』(文芸社)については、著者について、その〈請読〉のあり方についてなど、複数の角度から、積分するように漏れなく書き尽くしておきたい。


〈請読〉は僕の造語で、或る本を読むように請うてくる何か、要請するものがどこから来ているかを、はっきりと自覚した読みといった程度の意味。宇田亮一氏の〈請読〉は明快だし、そのことが他のあまたの論から際立たせる大きな理由になっている。


そこに入って行く前に、僕が昨年の10月にツイートした『心的現象論』に関するものを以下に転載しておく。これも重要な外堀だからだ。


単行本化の順は、『言語にとって美とは何か』→『共同幻想論』→『心的現象論序説(+本論)』だが、起稿は『心的現象論序説』のほうが『共同幻想論』より手前であって、ほぼ並行して進んでいることに注意しよう。
posted at 19:01:33

『言語にとって美とは何か』の「試行」誌上での連載が終わった後、1965年10月から『心的現象論序説』が開始され、ほとんど並行して「文藝」誌上での『共同幻想論』連載が1966年秋から始まる。1968年の『共同幻想論』単行本化をまたいで『序説』は1969年の8月まで書き継がれてゆく。
posted at 18:53:49

箸袋への走り書きと、「試行」誌連載→『言語にとって美とは何か』→『共同幻想論』→『心的現象論序説(+本論)』の〈連環〉読みは、滅法効きまくる。これに詩作の緩急、停止と再開、そして最晩年の「芸術言語」論を加えてオーケストレーションするんでなければ話にならんのですよ、お兄さん。
posted at 18:34:25

『心的現象論序説』の最初の単行本化は1971年(北洋社)。『試行』誌上で1965年10月から1969年8月まで書き継がれたものがまとめられた。その後、心的現象論は1970年1月(『試行』29号)から1997年12月(74号・終刊)まで書き継がれ『本論』として2008年に単行本化。
posted at 17:57:38

『言語にとって美とは何か』のなかで生まれた主題、言葉を発する個々のなかで、特に詩作や小説を書くという行為のなかで、起きていることは何か、その現象にあたっておきたいというのが、『心的現象論序説』のモチーフだった。『共同幻想論』は、むしろこの過程に咲いた、積極的な意味での”徒花”である。それも艶やかな。

詩のように読めるという人もいる。その感受は正しい。理論的ではない、という意味ではなく。しかしこの話は同じ著者の第二作に即して、続けることにしよう。

吉本隆明『共同幻想論』の読み方 (テツガクのなる木)
宇田亮一
菊谷文庫
売り上げランキング: 176,921
(続く)