ツイッターのタイムラインを眺めていたら、
文學界6月号のお知らせが流れてきた。
表紙に詳細はないが、鴻巣友季子さんがチェスタトンを持ち出して論じる云々と、
ツイートにはあった。
いきなり僕は起ち上がっていた。
チェスタトンはただの幻想、ミステリー作家ではない。
わが学生時代にいまはなき『幻影城』の懸賞評論に応募し、
選外佳作ながら権田萬治先生から「今後を期待する」と激励をされた、
その小論のテーマがチェスタトンなのだ。
時計を見ると、もう午後7時を回っている。ニュースを見損ねた。
いきつけの本屋で買うのはこっぱずかしいので、
わざわざ場末の小さな書店に入ってみた。
文學界6月号は配本がなかったそうだ。
しかし『色彩を持たない多崎つくると、・・・』は棚差しではあるが、
5冊も並んでいる。
その背表紙を見て気づいた。そうか、文藝春秋さんだったんだ、これ。
1700円+税で購った。
本屋の親爺によると、このボリュームの小説本ハードカバーとしては、
定価が高めに設定してあるそうだ。ふーん。
そのまま、ジャンクション・シティに向かい、そこで
ワンコインのバーボンをなめがら、
一行目に目を落とした。
大学二年生の七月から、翌年の一月にかけて、多崎つくるはほとんど死ぬことだけを考えて生きていた。
小説は冒頭の一行で決まる。
ここだけ読むかぎり、まあフツーの一行である。
時代の心情を広く吸い寄せるような一行と言ってもいいか。
しかし、これが目隠しテストであったらどうか?
そこはかとなくであっても、彼特有と言えそうな文体を感じるだろうか?
いやそういう文体を拒否するのが・・・・
まあ、それはこれからのお楽しみ。
思う存分、料理してくれるわ。
PS.
僕はそれから妙な酔い方をしたらしく、
場末の怪しい店にひきずりこまれそうになっていた。
財布は空っぽだったからカードを差し出すと「お取り扱いできません」と機械が言ってるそうだ。カードが僕を思いとどまらせた。翌朝、確かめると残高に変わりなかった。カードにもなんの異変も起きてはいなかった。いきなり40万円とか打ち込んだんじゃなかろうか? お蔭で救われたのではあったが、とにかくおかしな一日になった。