平成24年8月20日(月)
平林すみれは、祖父の代から世田谷区の瀬田に住んでいて、そのせいで敷地は広く百坪はあった。隣接して、父の妹であるすみれの伯母の家族の家も建っていた。その辺りは、千坪を超える屋敷もあり、その中の百坪は、何ほどのこともなく、平林家は、つつましく暮らしていた。父は、特許庁の公務員で、静かな性格であったが、登山を趣味にしていた。すみれが中学生になると、父は、家族をはじめ、すみれや弟の太志(ふとし)の友人も誘い、富士山をはじめ三千メートル級のアルプスに連れて行った。すみれは高校二年で登山は止めたが、それでも有名な山を五山征服した。その登山にいつも同行したのが、森篤史であった。彼は、弟の友人であったが、すみれも太志も篤史も同じ都立高校に通った同窓生でもあった。森との交流は、家族ぐるみであったが、十五年前の事故以来疎遠になっていたのだ。久しぶりに森篤史の噂を聞いて、すみれは感慨無量の思いがした。十五年という年月は、身内の死すら遠いものにしてしまうのだった。生きていれば、父母は七十五歳、弟は四十九歳だった。
事故は、運が悪かったとしか言えなかった。十五年前のお正月休みに、両親と弟の三人は蔵王あたりの山スキーに出かけて、その帰り、磐越自動車道での五十台が絡む大きなスリップ事故に巻き込まれて、三十人以上の犠牲者の仲間入りをしてしまったのだった。父は、まだ現役の役人であったので、かなり立派な葬儀になったが、いっぺんに三人の葬儀で、近所での噂がかしましかった。幸い伯母が、近くにいてくれたので、かなりの部分、伯母が取り仕切ってくれていた。伯母にとってもすみれの父が弟だった訳で、これから楽しい老後を隣同士で過ごそうというところだっただけに、さびしそうであった。伯母には娘がいたが、アメリカ人と結婚して、カルフォルニアに住んでいて、いつもは夫婦二人暮らしであった。
すみれは、かつて四人で暮らしていた広い家に、一人で暮らしていた。最近になって、広すぎる家の掃除が面倒に思えていた。家は、三十五年前に、父がつくりかえたので、今風に便利に使えたが、三人がいなくなってからは、水回り以外、自分の部屋しか使わず、締め切ったほかの部屋の掃除は、三年くらいしていなかった。庭は、父の趣味で和風に作られ、マキの木やツゲは、古典的な形にしつらえられ、松、梅、さつきとどれも庭師に剪定してもらう必要があった。幸いというか悲しいというか、父親は、事故死であったので、生命保険が掛け金の三倍手に入り、その一部を庭師に使った。年間十五万円かかった。使うことが父の供養になると思えた。すみれの収入だけでは、この費用は、負担になったであろう。それにしてもこの家ですみれ一人が住むのは淋しすぎると思う年になってきているのは確かであった。今日のように、同世代の女性と心を割って話すことが、どんなに気持ち良いことだったか、まだその余韻を引きずって家に入った。
昼過ぎに、伯母の治子が訪ねてきた。昨日だまって留守にしたから心配してきたのだろう。すみれは、手短にいきさつを話し、今度≪婦人・夫人≫に詩を連載することを伝えた。コサージュ作家の西田恵美子さんを知っているかと伯母に聞くと、よく知っているという。治子の友達に、彼女のカルチャースクールの生徒がいるという。
「彼女の作品は、宝石並みに高いのよ。それでクラスで習って、自分のものを作りたいという生徒さんが多いらしいけれど、手ほどきから少しも進歩しないらしいわよ」
「西田さんと組んで見開きのページを受け持つの。その打ち合わせに出かけて、一晩泊まることになったのだけれど、すごく良い方だった。久しぶりに同じ感性の人と話せたと思う。びっくりすることに、森篤史君がすごく頼りにされていて、≪婦人・夫人≫の大黒柱のような存在なのには驚いたわ」伯母の治子も太志と仲の良かった篤史のことはよく覚えていた。
「篤史君は、すみれのことが好きだったのでしょう。事故がなかったら付き合っていたのかしら?」と伯母は、遠い目をした。
「違うでしょう。伯母さん家の翠(みどり)ちゃんが気に入っていたのよ。それなのに早々とアメリカ人と結婚してしまったので、さびしくて家の方に来ていたのよ。たぶん太志もみどりちゃんが好きだったのかもしれない。だから三十過ぎても恋人がいなかったのよ」
「そうかしら、森君も結婚してないのでしょう。どうしてかしら。これから会うチャンスがあるなら、大人の付き合いで、結婚すればいいじゃない」
「おばさんは、しょっちゅう結婚というけれど、どちらかというと、もう老後のケア施設を考える頃じゃないのかしら」
「情けない。そんな人生を捨てたようなことを言わないでよ。あなたのお母さんだって、六十歳でもお花の先生をなさってたじゃない。翠はそのおかげでお免状を戴いて、カルフォルニアで、日本人相手に、お花の先生で、稼いでいるらしいわよ」と叔母はさみしそうに言った。叔母の孫は、男の子が二十一歳、女の子が十九歳になっているが、小さいころはともかく、十代過ぎてからは、ほとんど日本に帰ってこなくなっていた。
『シロ』という単純な名前里子に出す猫には、簡単な名前を付けて、一か月ぐらいで家を出ていくのだけれど、人なれさせるのに失敗して、家で飼っているので、そのまま『シロ』となる。いつも不機嫌そうな猫。
