で、何が違うのか?って云うとね、最新型のN700Aって云うのは先頭車両が絞ってありました。知らなかったですよ。その他、見えない処にもN700を凌駕する各種テクノロジー満載なんでしょう、ね。
こ~んな感じ。分かるかなぁ?先頭車両の入り口から2個目の窓の屋根の所。渦流対策かな?
で、相変わらず先頭の鼻っ面の所は自殺した虫さん達の亡骸だらけ・・・。へばり付いていましたよ。
ブツブツが凄いでしょ。ライトの直ぐ下の処は鳥さんがブチ当たった跡かな?何せ時速二百何十㎞で疾走しまくりですから・・・。
久しぶりに大阪で開催された学会の分科会に出席して来ました。食べましたねぇ。粉モン。たこ焼きにお好み焼き・・・。あの独特のソースの味、大好きです。
で、帰りの足をどうするか?予備日を取りましたので今日中に帰れれば大丈夫です。と云う事で珍しく新幹線に。要は、事前予約とかしないで於いただけなのです。現役時代なら考えられない様な贅沢。
新幹線と云えばその昔、大学生の頃に日本食堂レストラン新大阪でアルバイト採用して貰って、あの中を歩き回っていた事があります。
皆さんご存じでしょうか?新幹線は今も昔のまま変わらず1両の長さは25メートル。最大16両編成なので全長400メートル。これを9両目のビュッフェ・カーで前後に分けて、社員さんはカートで、バイト君達はバスケットを片手に車内販売します。
車内を一往復すると400メートル歩いた勘定。大体10往復ぐらいはしますから1乗務で4㎞以上を時速200㎞で疾走しながら歩き廻っていた事になります。何か変だな?
もう、ユ二フォームの下の黒ズボンの腰のベルトの辺りは汗染みの塩が吹きまくりでしたね。兎に角、予期せぬ走りと云うかひねりと云うか、腰使いまくって転ばない様に必死でしたから・・・。
当時は未だ東京=岡山間しか走っておらず、通常勤務なら朝新大阪乗り込み、東京で折り返して岡まで走り、新大阪に戻って来て降りる。と云うパターン。
遅出の場合は夕方出発して東京宿泊、翌朝一番列車で岡山まで走り抜け、折り返して昼過ぎに新大阪で降りる。とか、その逆方向とか。
当時は帝国ホテル列車食堂さんと、ビュッフェ東京さんと、日本食堂品川と新大阪。この4者が国鉄の受託業者で働いていましたね。
で、車輌によっては新大阪と東京ではスタッフ入れ替えってのもあって、帝国さんが下車して我々が乗り込む。これを駅停車中の2~3分の間にやってのけなければならないのですよ。今と違ってお皿にも銀食器にもマークが・・・。食堂車は未だ無くビュッフェ・カーのみでしたが、速度メーターが200㎞超えしたのを背景に写真を撮ってくれと外国人旅行者に頼まれて何回撮ってあげた事か!今なら自撮り棒がありますが、懐かしい思い出が脳裏をよぎりました。もう40年以上も前の話です。
新大阪を出た後、京都、米原を過ぎて名古屋までの半分ぐらい走った処で進行方向左手に見えるこの山、みなさんご存じですか?そう「伊吹山」です。冬の旅だとこの辺り一帯は雪深さが一段と感じられる景色に変貌します。
早いですね。名古屋駅に滑り込みます。
そして
だんだんとお天気の悪くなる浜名湖辺りを通過して、
あっと云う間に東京に着いちゃいました。生憎、富士山が全く見えなかったので居眠りしてしまった様です。久しぶりの学会で疲れたかな?
乗り心地は?
うーん、飛行機やバスに比べて足元広すぎ?
あ、そうそう。新大阪を出発する直前、下りホームに「ドクターイエロー」が入線する処を見ました。
今回の旅のオマケです。ラッキー。






