SLの汽笛に驚き、泣きで大変でしたが、
ようやく落ち着いてきました。
子供の感じ方と大人の感じ方の違いについて、我が子に今教育を受けている。
この違いの部分を生かすのが僕の役目だと思っている。
この違いの部分から何が生まれてくるのか解らないけど、大事にしてあげたい。
先日僕が妻に
「長新太という絵本作家さんがいるんだって。その人の作品にイカタコつるつる
というのがあってね、イカがラーメンを食べている時、自分の足まで一緒に食べて
”痛いけど美味しいなあ~”って。」
そんな話をしていたら上の子が話を聞いてゲラゲラ笑い出した。
僕は正直、「訳のわからない絵本だなあ」と思っていたけど、子供の笑いを聞いて
大きな過ちを犯していた事に気づいた。
意味がある事ばかりを求められる社会に行き続けて、意味のないことの素晴らしさ
を僕はすっかり忘れてしまっていた。
ただ楽しみ笑う、ただ悲しみ泣く、そこに意味なんてないし、先とか蓄積されること
なんてないかもしれないけど、そういう経験で心は豊かになるんだと 思う。
この違いの部分を生かすのが僕の役目だと思っている。
この違いの部分から何が生まれてくるのか解らないけど、大事にしてあげたい。
先日僕が妻に
「長新太という絵本作家さんがいるんだって。その人の作品にイカタコつるつる
というのがあってね、イカがラーメンを食べている時、自分の足まで一緒に食べて
”痛いけど美味しいなあ~”って。」
そんな話をしていたら上の子が話を聞いてゲラゲラ笑い出した。
僕は正直、「訳のわからない絵本だなあ」と思っていたけど、子供の笑いを聞いて
大きな過ちを犯していた事に気づいた。
意味がある事ばかりを求められる社会に行き続けて、意味のないことの素晴らしさ
を僕はすっかり忘れてしまっていた。
ただ楽しみ笑う、ただ悲しみ泣く、そこに意味なんてないし、先とか蓄積されること
なんてないかもしれないけど、そういう経験で心は豊かになるんだと 思う。
90年代にアフリカでネイチャーな旅を続けていた頃。
滞在して一週間くらいはすごく違和感があるんですよ。
都会の空気の中で暮らしていると、ワイルドライ フには
すぐに順応できない。
馴染んでいない感じがよく分かるの。
例えば動物が近くにいても気づけない。
それが一週間も経つとすごく遠くにいる、耳だけが見
えてるライオンを気配で分かったりするようになる。
そういう、日常では蓋をして閉じていたような感覚が開いてくる。
そこの周波数を身体で覚えたら、都会に 戻ってきても
そのスイッチを切らないようにしているんです。
そうすると、家の庭に来る鳥でも虫でもすごく繋がっている
のが分かるの。
自然と繋がるということは、つねにその周波数に合わせて
おかなくちゃならないんです。
そうし続けることが自分の掟ようなものなの。
一度普段の環境とぜんぜん違うところに身を置いて
みることは必要です。
見慣れた風景とは違う、圧倒的なものに出会うと、人はそれが
自分の視点の基準になり ます。
その視点を通して、あらゆることを思考するようになる。
私にとってはアフリカや南極ですが。
日常の中に常にその風景があるといっても過言ではありま
せんから。
生きるということの基本は、動物的な感覚で、「勘」ですね。
自分の勘を信じて、どうでもいい情報は削除していく。
そういうことがこれからの時代 はとても大事だと思います。
滞在して一週間くらいはすごく違和感があるんですよ。
都会の空気の中で暮らしていると、ワイルドライ フには
すぐに順応できない。
馴染んでいない感じがよく分かるの。
例えば動物が近くにいても気づけない。
それが一週間も経つとすごく遠くにいる、耳だけが見
えてるライオンを気配で分かったりするようになる。
そういう、日常では蓋をして閉じていたような感覚が開いてくる。
そこの周波数を身体で覚えたら、都会に 戻ってきても
そのスイッチを切らないようにしているんです。
そうすると、家の庭に来る鳥でも虫でもすごく繋がっている
のが分かるの。
自然と繋がるということは、つねにその周波数に合わせて
おかなくちゃならないんです。
そうし続けることが自分の掟ようなものなの。
一度普段の環境とぜんぜん違うところに身を置いて
みることは必要です。
見慣れた風景とは違う、圧倒的なものに出会うと、人はそれが
自分の視点の基準になり ます。
その視点を通して、あらゆることを思考するようになる。
私にとってはアフリカや南極ですが。
日常の中に常にその風景があるといっても過言ではありま
せんから。
生きるということの基本は、動物的な感覚で、「勘」ですね。
自分の勘を信じて、どうでもいい情報は削除していく。
そういうことがこれからの時代 はとても大事だと思います。








