
時代を読み違えていたなあ~と新しい発見を沢山させられた。
大政奉還したら直ぐに新政府が立ち上がってなんて思ってたけど、大きな内乱があったり、藩毎でのいざこざがあったり、そりゃ大変な時代だった事が伺える。
明治と元号が改められてからの、封建的な制度の破壊。封建的な制度は悪と見られがちだけど、この制度が守っていたものも多くあり人民は様々な困窮に強いられる。
何かが改められる時にはメリットもデメリットもつきもので、またその大きさも人によって異なってくると、ある程度上から押さえつける様な強引さも必要だということが解る。
この時代には頼る先が何か解らないという暗闇が存在していたように思う。例えば紙幣などがこの時期に普及されるのだけれど、金でも銀でもない紙がお金として価値あるものになるのかという事さえ疑わしかったり、新政府が発足したからといって、薩摩藩や長州藩が自我を通してまた戦国時代の様な事が起こるのでは?と噂が飛び交ったり。
そういう時代にあった思想などの起こりは非常に重要な位置を占めていたんだろうなあと思う。
今ニュースで騒がれているリビアの情勢などは、質こそ違うが日本の幕末の内乱と方向性としては一緒なんだろうと思う。


いやあ~濃かった。今年の夏は遊びつかれた。そしてとっても長く時間を感じれた。
上の写真はどれも朝方からの海。
従弟と一緒に行ったり、東京から一緒に遊びに出掛けた友人と行ったり。
初日は4時起き、それからも6時には海に居てサーフィンスタートなど、身体よりも気持ちが先に先に向かっていた。

サーフィンはちょっと立てたかなあ、という程度。
でも自分で波を見極めて、パドリングして、波に乗って立って、と出来たのは自分で自分を褒めてあげたい。こんな事、1年前はありえなかった。
後半はボディーボードに切り替えた。
まあ、波に乗れる乗れる。サーフィンでは四苦八苦だったので、楽しくて仕方がなかった。(これでサーフィン辞めたとならないようにしなくちゃな、と言い聞かせる。)
上の写真は朝方ボーディーボードで楽しんでたら、地元の人が写真撮って、自分のブログにアップしていて、そこに僕が掲載されてたと地元友人に教えてもらう。
なんか認められた気持ちになって嬉しかった。

朝~、昼~、海に行ってはボードで遊び、バーベキュー&晩酌と、無理が祟って先週金曜日に38度の熱を出して寝込む・・・。
次の日には法事もあったので、気合で復活し、日曜日にお義兄ちゃんと東京へ。早くからの晩食は明日から僕は仕事、お義兄ちゃんはディズニーランドへという事で焼肉で英気を養う。
そんな夏休みでした。
9月はお祭り。また宜しく掛川!
夜明け前の第二部を読み始めた。
最初からとっても興味深い感だった。
そこにはアメリカが黒船を日本に向けて出発した動機、その時日本という国が他国からどのように見られているかが見てとれる。
1690年ごろに日本におとづれたオランダ人の旅についてケンペルが旅行記として纏めている。
この旅行記含めヨーロッパには日本に関する貴重な資料が多くあり、それらをよく熟読してアメリカは日本に来航したらしい。(日本までの海図をアメリカはオランダから当時3万ドルで購入したとか)
このケンペルの旅行記にオランダ使節団が受けた徳川将軍、将軍側近のひとたちからのお願い(命令)が記されていて、それが将軍、側近の人達の様子がリアルに垣間見れるようで興味深い。
ケンペルは城内に将軍を訪れる機会を設けて、日本と商売をしたい一心から色々なお願いというか命令を聞き入れる。例えば、オランダ人通し挨拶をしてみろとか、喧嘩をしてみろとか、将軍の妾含めた奥の女性陣からはキスをしてみろと言いたてられ嘲笑を受けたりしたようだ。それを見ている際は相手から見られないように、簾を挟み、奥を暗がりにして見ていたとも書かれている。(だからケンペルは将軍の容姿を全く見ることが出来なかったとある)結果としてオランダはある制約を受けるが日本と商売を自由に行える権利をもったらしい。
それから間もなくペリィが来航した際はこのオランダ人の態度をアメリカは捨てたとある。
要は下からお願いを請うんではなく忠告をしにいった感がある。それをアメリカ領事ハリスが幕府に読み上げた口上書を見るとよく分かる。
これもまた非常に面白い。
韃靼戦争で隣国の支那が困窮している事を例に取り、子供に言い聞かせるように世界がこのように統一されるようになったのは蒸気船の発明によるもので、他国との国交をうまく聞き入れおかないと支那の二の前になるぞと忠告をする。
また山に登って周りを見渡してみよ。日本の周りにはアメリカ産の捕鯨船が100叟あり、日本は笑止の沙汰だぞとも言われている。このハリスの口上書がそれからの日本を良くも悪くも変えていったとあり、ハリスという人物像も認めてある。
これで第一章が終わった。
ケンペルやハリスの様な外からみた日本というのがこの時期どう映っていたのかという見解はおもしろいもんだ。
最初からとっても興味深い感だった。
そこにはアメリカが黒船を日本に向けて出発した動機、その時日本という国が他国からどのように見られているかが見てとれる。
1690年ごろに日本におとづれたオランダ人の旅についてケンペルが旅行記として纏めている。
この旅行記含めヨーロッパには日本に関する貴重な資料が多くあり、それらをよく熟読してアメリカは日本に来航したらしい。(日本までの海図をアメリカはオランダから当時3万ドルで購入したとか)
このケンペルの旅行記にオランダ使節団が受けた徳川将軍、将軍側近のひとたちからのお願い(命令)が記されていて、それが将軍、側近の人達の様子がリアルに垣間見れるようで興味深い。
ケンペルは城内に将軍を訪れる機会を設けて、日本と商売をしたい一心から色々なお願いというか命令を聞き入れる。例えば、オランダ人通し挨拶をしてみろとか、喧嘩をしてみろとか、将軍の妾含めた奥の女性陣からはキスをしてみろと言いたてられ嘲笑を受けたりしたようだ。それを見ている際は相手から見られないように、簾を挟み、奥を暗がりにして見ていたとも書かれている。(だからケンペルは将軍の容姿を全く見ることが出来なかったとある)結果としてオランダはある制約を受けるが日本と商売を自由に行える権利をもったらしい。
それから間もなくペリィが来航した際はこのオランダ人の態度をアメリカは捨てたとある。
要は下からお願いを請うんではなく忠告をしにいった感がある。それをアメリカ領事ハリスが幕府に読み上げた口上書を見るとよく分かる。
これもまた非常に面白い。
韃靼戦争で隣国の支那が困窮している事を例に取り、子供に言い聞かせるように世界がこのように統一されるようになったのは蒸気船の発明によるもので、他国との国交をうまく聞き入れおかないと支那の二の前になるぞと忠告をする。
また山に登って周りを見渡してみよ。日本の周りにはアメリカ産の捕鯨船が100叟あり、日本は笑止の沙汰だぞとも言われている。このハリスの口上書がそれからの日本を良くも悪くも変えていったとあり、ハリスという人物像も認めてある。
これで第一章が終わった。
ケンペルやハリスの様な外からみた日本というのがこの時期どう映っていたのかという見解はおもしろいもんだ。

ようやく第一部を読み終えた。次は第二部だな。
第一部では慶喜が大政奉還をして、新しい日本がこれから始るという景気で話しは終わっている。
最後のセンテンスで書かれていたことが面白かった。
江戸幕府の始まりが上から起こってきたことを考えれば、大政奉還は草叢(くさむら)から起こった事で、さらにどこかが政権を掌握したとしても、長続きしないという事が書いてあった。
草叢とは平民を指しており、何事も下からものを見上げることが時勢を知る上では大事だという事が書かれている。
これは本居宣長やそれを継承する平田篤胤などの国学者の門をくぐり、彼らを心から慕う主人公の回想、また仲間との話しの中で聞こえてくる事だったりする。
今の時代ではテレビやネットなど様々な手段で、また身の回りの事だけでなく東京、日本、世界、宇宙の事まで情報を知ることができる。
しかしこの幕末という時代では噂という形で飛脚や旅する者から情報を得たり、信憑性ある情報をリアルに受け止めたければ、旅を強いられた時代だ。
また時勢を知って、今後世がどのように変化していくかを知りたければ例えば国学の門を叩いて王政復古を叫んでみたりという何もかもが自分だけが頼みの綱という時代であることが手に取るように理解できる。
この大政奉還が現実のものとなった暁の「ええじゃないかあ~」という庶民の錯乱だったり、篤胤を師と仰ぐ仲間達の話す内容に出てくる、「様々な裏方の存在があってなされたこと、それこそ本居宣長の書物もしかり」といった内容も面白い視点だなあ~と考え深かった。






