3日目、嵐山。
ここでは『オルゴール博物館』という面白そうな場所も見学して来た
ただ個人で回って見るだけかと思いきや、なんとガイドさんがいらして、英語と日本語の両方を使い丁寧に説明してくださった
きっと昔なら、日本語だけだったのではないだろうか?確かに外国人の方もチラホラいて、英語の解説を頷きながら聴いている様子を見ていると、このような形は絶対に必要なモノだろうと思えた。
その日ホテルへ戻り、お風呂に入りに大浴場へ行った時のこと。
1人の外国人がお風呂場から水着姿で出て来たそして何やら探している様子。私と娘がいたので「タオルはどこにあるの?」と話しかけてきた。娘と2人で「ルーム、ルーム」と単語だけを連呼
何とか通じたようだったが、タオルがない彼女を不憫に思った娘が「バスタオルを貸してあげてもいい?」と私に聞き、彼女に自分のバスタオルを貸してあげていた。
彼女はその場で水着を脱ぎ、バスタオルを巻いて浴場へ戻っていき、私達も入っていくと、今度は「湯船にこのまま入っていいの?」と聞かれ、私は必死で「タオルノー!タオルノー!」と素っ裸のままお腹の前で手をクロスしてバツを作り、何度も彼女に言っていた(苦笑)
またしても分かってもらえたようで、バスタオルを取り裸で湯船に浸かっていた。するとフレンドリーな彼女は私達に話しかけてきた。娘も「どこから来たの?」などと質問し、「チリから」(多分そう聞こえた)などと会話をした。といっても、彼女が色々と話していることを、何となく聞き取れたか、聞き取れていないかぐらいの英語力しか持ち合わせていない為、ただただ笑って頷くしかなかったのだ。
この時、久しぶりに悔しい思いをした。
「なぜ、もっと英語を勉強しておかなかったんだ‼︎」と。
外国人に話しかけられて上手く答えられなかった人の感情としてあるあるかもしれないけど、こんなにももどかしい思いをしたのも今まであっただろうか?というぐらい悔しくて、悔しくて仕方がなかった。
フレンドリーな彼女が色々と話してくれたんだから、こちらとしてももっと色んな話がしたかった。彼女が先に上がってからも、ずっとその思いが胸の中に残ったままだった
そして外国人がまた1人入ってきた。
私達はすぐに上がり脱衣所で体を拭き髪を乾かしていたら、その外国人が上がってきてまた何やら探している様子
「えっ!ま、まさか⁇」
と思っていたら、案の定
「タオルどこにあるの?」と2回目となる質問が・・・。
またしてもバスタオルを手にしていた娘が、「コレ」と言って自分のバスタオルを貸してあげ、事なきを得た。
この光景、本日2回目
この日だけでも2人もタオルを持って来なかった外国人がいるって事は、今までもきっと何人もいて、その中でも誰もいなくて濡れたまま部屋に戻った人もいたのではないだろうか?と思ったりした。ホテル側ももっと対策を考えてあげて欲しいとも…。
そして観光で色々と周っている最中に、こんなに外国人が多いなら、もしかしたら道を聞かれるかもしれない。と考えていて、「その時はGoogle翻訳を使えばいい!」などと思っていたけれど、大浴場ではそれが叶わないことを知った。
どんなに素晴らしい優れた物でも持っていなければ意味がない。どんなに素晴らしい刀を持った武将でさえも、入浴中に敵と遭遇してしまったらきっと何もできないのだろう。それと同じ。やはり身に着けてこそ最強という事を痛感した。
知識こそ最強の武器なんだと。。。
今回の旅行は本当に学びの多い旅行となった
そして娘の成長もずいぶんと感じることが出来た