小学生の時から、高校半ば位まで、
自分は、
「百害あって一理なし」
な人間としか思えなくて、
毎日何もしていないのに謝ってた。
何も出来ない自分が申し訳なくて、いつも謝ってた。
だけど、自殺を選ばず、未来の自分の命を救い続けて居たら、
何時の間にか、人の痛みがわかる人になれていたのか、
単に傷付けるのがこわくて言葉を選んで話すからか、
もしくは…
「こんな風に言ってくれる人が居たら、嬉しかったのにな…」
そんな人物像に憧れて、
なりたくて話してきたからか、
「ありがとう」とか、
「大好き!」なんて、
嬉しい言葉をもらえるようになって、
誰かの、
「大切な人」
に、なれているかもしれない、
誰かを笑顔に出来る、自分が居て…
「生きて居て良かった」
と、
「生きるのを、もう辞められないなぁ」
と、思う私が居る。
こんな、前とは正反対の私、
あの頃は想像すら出来なかったなぁ…
ましてや、私の描いた憧れに、
誰かに対して私がなれているかもしれないなんて、
未だに、信じられない…。
世界は、優しく出来て居るんだね?
喪って、傷付いた分以上の“何か”を私たちに用意して居てくれて居る。
それに気付くか気付かないかはきっと、私たち次第で…
人は、望みや願いを捨ててしまいさえしなければ、
いくらでも理想に描く自分になれるのだと思う。
だから、どんなに辛く苦しい事があっても、
受けたダメージ以上のモノを、得られるのだと思う。
今度は私、ナニになろう?
サナギになって、
羽化して何になろう?
考えながら、楽しみながら、
今日も、明日も、
生かされた限りある命を、
生きて行こう。
誰かの笑顔を、
一つでも多く咲かせられるように(^ ^)
「ありがとう」。
感謝。
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