15℃ 『二人の時計』 | 『地図』

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成田雅嗣(なりたまさつぐ)が執筆するオフィシャルエッセイ。



第15稿目の今回は、

『二人の時計』について語ります。



『二人の時計』


2002年1月13日にリリースし

2012年3月11日にリメイク版をリリースした
成田雅嗣の楽曲です。


この曲の制作秘話を語ります。




制作したのは2000年



高校卒業後

岡山から上京した僕は

何か協力な曲が欲しいと作曲に頭を悩ませていました。


成田の楽曲制作方法については

別で語ることとして

メロディーが降ってくることや曲が湧き出てくることは

今まで一度もありません。


ただひたすら楽器と向き合い

音をつないでいきます。




当時、僕の周りでは

「恋愛ブーム」が起こっていました。


高校卒業をキッカケに恋愛が始まった人

大学や専門学校など

新しい環境で恋愛が始まった人

など

新しい恋に夢中な人が多かった時期でした。



そんな中

小学校時代からの友人の恋愛が

他とは違うロマンチックな恋愛をしていました。




友人の彼は

高校卒業と同時に、料理人になるため東京に上京し、

寝る時間も惜しんで修行に励む毎日でした。


「一人暮らし・新社会人」

彼の新しい環境は、

夢を追う希望の光の影で、

現実という壁が心身を苦しめていました。


そんな中

彼の心を支えていたのが

岡山に住む彼の恋人だったんです。




高校卒業をキッカケにお付き合いが始まった二人は

同じ時間を共にする間もなく

東京と岡山という距離をあけられてしまいます。



毎日の電話は当然として

メールが今ほど発展していない時代では

「起きた」や「お疲れ」などの近況報告は

二人だけのある合図を決めていました。



彼の働く店で

僕はアルバイトとしてお手伝いをさせて頂いた時期もありましたが

仕事終わりに一緒にいると

彼女からワンコールが入るんです。


彼らは

電話のワンコールというカタチで

「おはよう」「仕事が終わった」「お疲れ様」「これから寝ます」

などと

相手に知らせていたんですね。



そしてさらに

彼は1日でも休みがあると

飛行機で岡山まで飛び、

たった3時間でも彼女との時間を大切にしていました


当時、お金のない学生だった僕は

往復の飛行機代30,000円近く使って3時間でも会いにいく行為は

「愛とはこういうものだ」

教えてくれたように思います。



学生の友達達は

出逢いと別れを繰り返し

あまりに安い恋愛をしている人が多かったので

彼らの愛のカタチがとても大きくとても広く見えました。




その二人をモデルに曲を制作した曲

『二人の時計』なんです。




そうなんです。




あの『二人の時計』という楽曲には

モデルとなる人物がいたんですね。




あの曲の原曲では

「僕」や「私」、「君」といった一人称・二人称の言葉が出てきません

「二人」という三人称の言葉を使っているのも

ある恋愛を第三者の僕が語っているからこその表現方法なんです。




彼らのようなエピソードを目の当りにした時期に

気に入るメロディーができたので

彼らをモデルに「永遠の愛の詩」を制作してみました。



つまり

ウェディングソングになるべくしてなった曲

といっていいように思っています。




制作してすぐに

渋谷のクロスタワーにある尾崎豊の歌碑の前に呼び

彼一人の前でギター片手に披露したのが

初披露となりました。




そこから今年で12年。

様々な結婚式で歌わせて頂き

また別の愛のカタチを詩にしています。


最初から

モデルになる二人があって制作した楽曲なので

今『婚てニュー』というサービスを展開しているのは

決して驚くことではありません。



偶然が必然になったような

そんな不思議な楽曲なんです。



モデルとなる方

聴いて下さる方に育てて頂いた楽曲です。



本当に感謝をしています。




楽曲の裏側というのは

知らない方が想像をかきたてられてミステリアスで面白い

場合があります。


しかし、

裏側を話すことで

背景や当時の気持ちがわかる楽曲もあります



『二人の時計』という楽曲は

後者にあたると思っていますので

執筆させて頂きました。



レコーディング秘話は

また別の機会に語らせてもらいますね。





読んでくれてありがとう。



2012年5月11日

成田雅嗣



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