私は、というと、、、
1年前は思いっきりどん底でした。
NRグループとして、1年間ほど大きなチャレンジをやってて、
限界に感じて、自分で勝手に放棄しちゃったんですね。誰にも相談せず。
理由としては、それまでHITOTSU学を学びはじめて、約3年が経ち、
色んなチャレンジをして、人間力、人間関係力がバージョンアップしてる
って思ってましたが、、、、色々な壁とぶち当たりましたね。
その中でもある時、初対面の10代後半の人と出会って話すうちに
「こんな若いのに何で、生きる事に対して真剣に向き合ってるの」
と感じ、
「私は10歳ほどの若い人に自分の生き様を見せられる自分なのか・・・」
と自分の生き様を見つめざるを得なくなったんです。
私は何をしているんだろうか、と。
日々、どんな人生を送ってきたのか?
その蓄積がこの10代後半の少年を通して、教えられました。
そっから、ショックで落ち込みましたね~
自分が積み上げてきたものがもろくも崩れ落ち、完璧に心が折れましたね
まさに「砂上の楼閣」。
自分の現在地をまざまざと見させられ、冷酷な現実を受け入れるので精一杯でした。
その後、チャレンジする人生なんて、アホらしく思ってしまい、
私はただ無気力な人生を送るのが似合っているし、誰とも関わらずに生きよう、と。
生きる気力も、死ぬ気力もない生きるしかばね状態
でも、Nohさんには一度話したい、と思っていたので会って言われたのが、
「あなたはHITOTSU学で人生を勝負するしかないよ!」と。
ちょうど、2008年5月中旬。
ストレスでアトピーがひどくなり、顔や手がボロボロで、表情も硬く、
暗く落ち込んだ私に投げかけてくれている言葉一つひとつが
完全にcloseになった私の心に一寸の隙間が開いた時、
「どん底に陥った私にもまだ勝負の芽が残っているの
こんな私の状態でも可能性を見てくれているNohさんって人は・・・」
私の心は完璧に折れていましたが、
HITOTSUの心は全く無傷でイキイキとしているのを感じました。
まるで、「ほら、あなたのすぐ側にあるじゃない、それを手にしてごらん。」
と、こんなに身近にあるのに気づかなかったHITOTSUの心。
あくまでもNohさんは私自身の意志で選択するように言ってきます。
どっちを選択するのも本人の自由。
不安を煽る事もしないし、見守ってくれている暖かな感じがしました。
なんなら、HITOTSUに全力でぶつかってみようじゃないか
と、フツフツと再び湧きあがってきた私のチャレンジマインド
今度は、砂上の楼閣ではなく、
しっかりと根っこを生やした人生を構築したい、と思い、クリンピアを選択。
それから、およそ1年間ほどクリンピアを再度挑戦し、今日の日を迎えて感じるのが
本当にNohさんやHITOTSU学、共に学び実践行動をしている仲間達と出会えて
良かった~~~
マイナス出発で色んな苦しい事もあり、泣いた事もあったけど、
今日という日を笑顔で迎えられ、感動に溢れる心を抱きしめていました。
私は自己否定のプロですが、この日ばかりは、、、自然に自分で自分を褒めていました。
「あんた、がんばってきたよね~疲労困憊した時も、笑顔を作る気力が無かった時もあったけど、
一歩前進するあなたの勇気チャレンジが素晴らしかったよ~」
気づいたのは、
私はまだまだどん底というどん底ではないかもしれないけど、
落ちたからこそ、「底力」と触れられるし、それと一つになってチャレンジ出来るんだよね。
10件という目標はいまだ未達ですが、必ず成し遂げやりまっせ