みなさま、こんばんわ!
先日から相方が出張のため一人でだらりと過ごしています。
最近は昔懐かしい人達に会いたいなと思ったりしています。
東京に来て最初は帰省のたびに会っていた関西の友人や、知人に会う機会も少なくなりました。
みんな結婚したり、子供がいたり、地方に行っちゃったり。
自分も母親が病気になってから(今は大丈夫)、帰るときはなるべく家族で過ごすようにしていたので年を取るとそんなもんだなと思っていました。
東京に来て十数年、何年かに一回は思い出す人を今日は綴ります。
小学校5、6年を担当してくれていた先生です。
(その人は顎に特徴があったので、アゴ先生にします)
私が小学生の時、先生はまだ20代でスポーツマンでみんなからとても人気がありました。
ふと、どうしてるんだろうなと思って先生の名前と地元名をネットで検索(←決してストーカーではない)
学校は変わってるけど(当たり前)、なんと副教頭になっていましたおぉぉ
そんな年だったかな?
しかも副教頭って位置づけなんか昔あったかな?
年齢的にそんなもんなのか?
教員の世界はよくわかりませんが、とりあえず中間管理職?な感じがして、上からも下からも親からも板挟みでしょうね~・・・
担任だったアゴ先生は、まさに熱血教師って感じの人で、
アゴ先生:「P~元気かぁ!おはようさん~」
当時私は暑苦しい先生と思っていました。
(先生ごめんな・・・)
でも忘れない。
私が小学校6年生の時だったかな。
両親が別居しました。
子供ながらなんとなく気づいていたんだけど、私の性格上知らないふりをしてたような気がします。
ある日の放課後アゴ先生から
アゴ先生:「P、ちょっと話あるから進路指導室きて」
私は感じ取りました。
(あぁ、お母さんとお父さんの話かな)
そして的中。
アゴ先生:「あのなP、お父さんとお母さん好きか?」
それを突然言われた瞬間、私は涙がすぐ溢れました。
我慢していたものが崩れるかのように泣いてしまって返事ができなかったです。
とりあえずずっと頷いてたと思う。
アゴ先生:「今日お母さんが学校に来て、しばらくお父さんと離れて暮らすことになったって先生のところに話しに来てくれたんやけど、でもPにどうしても今は言いづらくて先生から伝えてもらえないかって・・・」
親の口から直接言ってほしかったなと思うけど、今思えば先生で良かったと思います。
(アゴ先生もうちのお母さんからとんでもないミッション与えられたなと・・・今思うと謝罪したいです。)
泣き終わるまで、ずっと傍にいてくれてました。(←今なら惚れてしまうな)
そんな衝撃な一コマがあって、アゴ先生は忘れられないんですよね。
その後両親は離婚しちゃいましたが・・・・
先生元気にしているかな。
このブログを書いているときに思い出しで涙と鼻水が止まらない~
また懐かしい人、綴ります。
今日はここまで。