ブドウジュース。
すっぱいブドウなる話を仕事仲間から聞きまして。
手に届かないブドウは酸っぱいものとして片付ける、
自己防衛思考なるものらしく。
それに対して、甘いレモンなる比喩もあるらしい。
実は妥協しているのに、これでいいと自分に言い聞かせる。
恐ろしいのが、甘いレモンに慣れている人は、
甘いブドウが目の前にあっても手を出せなくなるらしい。
つまり、本当に望むものが目の前にあっても、
つい逃げてしまうそうで。
しかも、逃げている本人にとっては、
正当な理由がある状態だと思っているから、
逃げているとは思っていないらしい。
むしろ、論理的に考えて仕方ない、
こちらの選択肢のほうが正当である、と、
思っているらしい。
どこまで心が納得しているかは知らないけれど、
頭はそうロジックを組み立てているらしい。
てことは、まあ、甘いレモンが好きな人は、
ある意味、相当ロジカルとでもいうか。笑
自分を納得させるために、
毎日ロジックの強度を確かめているんだよね。
でもそれなら、甘いブドウを選んだほうがいいと納得できる
ロジックを作ればいいのに、と思っちゃうのは老婆心?
確かに、甘いブドウを選ぶためのロジックは
根拠に紐づくファクトに現実感が無くなって、
自信が持てなくなるんだと思う。
つまり、仮説に近づくから怖くなる。
でもさ、仮説ってふわっとしてるところが
あるからこその仮説であって。
ボトムアップで検証していったら
確度40%くらいのロジックをもとに
行動するって決めるから物事が動くんだろうしね。
事実なんてものがあるんだか無いんだか
ってところに立ち返ると、ロジックというもの自体が
一体なんなんだろうとも思えてくるわけで。
論理的に考える力があるなら、
甘いブドウを自分が食べるに値するということに対して
論理を構築していって、
その仮説に身体を慣らしていくのもアリじゃないかと。
まあ、無意識で甘いレモンを選んでいる人が
甘いブドウの存在に気付けるかという問題は残るのですが、ね。
甘いレモンを選ぶ人は、
・仕事とはこういう側面もあるんだから仕方ない(当たり前だ)
・仕事にはいいも悪いもない(なんでも受ける)
・恋愛なんてこういうもんだから(仕方ない)
的な考え方をする傾向があるんですって。
これ、ちょっとした指標になったりするのかしらね。
ちなみに、アタクシは仕事は選びまくり、
恋愛も思い込んでこだわりまくりではありますが、
変なところで自信がなくて
甘いブドウがなかなか手に入らないタイプ。
残念。