遠く遠く どこまでも
Amebaでブログを始めよう!

LA 驚いた

先週この思い出日記を書き始めた訳で
この日記用に
押し入れの奥から
アルバムを引っぱりだして来て
写真を久しぶりに眺め

あーこいつら(一緒に行き仲良くなった友達)
今頃何やってるのかな?って思ってたら

一本の電話
「元気?」
TとMが銀座で飲んでて
来ないか?って言う誘い

Mとは5年ぶり
Tに至っては20年ぶりに
電話でだが話をした

都合が合わなくて
その場には行けなかったが
お互いいい年なのに
あの頃とほぼ変わらない
バカ過ぎる会話

怖いくらい偶然な
タイミングでの電話だった

こんな事ってあるんだな

LA fine

最初のウィークエンドにJとYがビーチへ連れて行ってくれた

後にも先にもYとJと三人で一緒に出かけたのは
このビーチが最初で最後だった
Yのウェイトレスの仕事は週末の方が忙しかったからだ

サンタモニカ近くのロカールなビーチ
真っ青なバスクリン色の海を想像していたのだが
実際はちょっと違った
夏だというのに水は割と冷たくて
海水浴とういより
ビーチでピクニックだった

それでも
白い砂のどこまでも続くビーチ
ライフガードの監視台
サーファー達
水着でローラースケートをする人々
ビーチバレーのコート
ビーチサイクル
パームツリー

それらはまさに
その頃の愛読誌
雑誌「Fine」の世界

湘南海岸とはまったくの別モノだった

目の前の視界いっぱいに広がる太平洋
この海の果てに
日本が......
父さん母さんは元気だろうか?帰りたい......



などと、これっぽちも思う訳もなく

ボクはこの楽しくてしょうがない日々が
永遠に続けばいいな
と思っていた。

真っ黒に日焼けして
国籍が不明になりつつあった
能天気な21歳大学生。









LA 勉強?

語学研修&ホームスティとは言っても
今から思えば...........

平日の午前中はボーリング場のあるビルの一室で
ゲームをしながら楽しく英会話を学びましょう的な
ネイティブの幼稚園レベルのレッスン

20数人ほぼ全員が受験という難関を突破してきた大学生
のはずなのに
日本の英語教育がいかに意味のない事なのかを
実感した21歳の夏

そんなレッスンも昼前にはとっとと終了し
午後からは自由

ある日は裏庭で
さっぱり意味の分からないラジオを聴きながら
日焼け
ある日はプール付きの家に運良くスティしている
ツアーメイトの家で大はしゃぎ
ある日はみんなでドジャースのゲーム観戦
そして、ある日は
さっぱり理解できないのに映画観賞
そしてある日は
ローラースケート
そしてある晩はディスコ

加えてレッスン日の合間の平日に
ハリウッド
チャイニーズシアター
リトルトーキョー等お決まりのロスの市内観光
そして
ディズニーランドにユバーサルスタジオに
ナッツベリーファームに巨大なプール

週末はスティ先のファミリーと各自
いろんな場所へ

今から思えばよくも
たった2週間ちょっとの間に
これだけてんこ盛りなスケジュールをこなしたな と
若さとはすばらしい事である

完璧なお遊びツアーだった
語学研修とは名ばかりの

でも
もしあの時 
選抜に受かり
大学の交換留学で姉妹校へ語学研修に行っていたら......

ボクはこんなに「楽しい」時間は過ごせなかっただろう
大正解の選抜落ちだった

人生には「もし」が多い
もしあの日、あの時、あの場所で

でも神様はいつだって
結局は
その人にあった道を選んでくれている気がする

ボクは別に英語の勉強がしたかった訳ではなく
ただ単に「AMERICA」に行きたかったのだ

続きはまた