例えば、何年、憶えているでしょう?

 

といっても、もちろん、人それぞれ、そして、事象それぞれ

ですかね。

 

10年前の、いつに、何を食べたかなんて、憶えていない。

 

それが、普通だと思うし、だからこそ、普通に生きていられる

と思うけど、私の場合は、3種類かな。

 

いまだに、ハッキリと、映像も含めて、思い出せるもの、

写真を見れば、全部、思い出せるもの、

それでも、曖昧なもの、

 

ですかね。

 

データ保存の寿命も、光、磁気・・・媒体によって、

変わるけど、人間の脳は、どうなのでしょう。

 

例えば、あの震災以降で、自宅を直していた時の事、

いわきで、南相馬で、常総で、只見で・・・ボラをやっていた、

その時、そのついでに、見て回った、あの光景、

そんなのは、思い出そうと思えば、思い出せる。

 

忘れる事が、できないという事は、前に進めない、という事と、

大体、イコールなのかも、しれないけど、

 

普段、人には関係ないからと、笑顔でいるようにしたり、

善人面していたり、道化を演じていたりしても、

結局、演技は何も変えては、くれないので。

 

・・・

 

これもまた、予約記事だけど、この時点では、

日曜は、豪雨とまでは、いかないようだったり、

ところどころ、雷雨があるかも、だったり、

よく解らない感じ。

 

それでも、10年前の事は、しっかり記憶している。

 

ベッドに、アレコレと、機具を繋がれた母に、会うまでは、

曇ってはいたけど、雨は降っていなかった。

 

ただ、夜に亡くなって、外に出るまでは、知らなかっただけ

かもしれないけど、病院を出る時には、まさかの豪雨で、

 

「何も、こんな時に、こんなに降らなくてもいいだろうに」

 

という位、下手すると、災害級位の、豪雨だったので、

忘れようもない。

 

亡くなって、天が悲しんでいるんだ、と誰かが言ってたけど、

そんなこじつけの言い分も、今なら、普通に泣いてしまうけど、

その時は、その時から暫くは、ほとんど泣けずにいたから、

その分、一気に、後から、襲ってきたのだろう。

 

その時から、ずっと、「明日死んでもいい」という状態の

ままだけど、結局、酒にトコトン逃げたり、手を切ってみたり、

どうでもいいように、していたのに、いまだに、生かされていて、

その答えだけは、ずっと見つからないまま。

 

災害ボラを、その理由、答えだと、言う人も、いるけど、

それは、違っていて、最初は、母やその友人達を殺した事への、

贖罪だったり、震災の恩返しだったり、ジャーナリスト魂的な

ものだったり、確かに、最初は、色んな意味が、あったかも、

しれないけど、

 

その内、段々と、慣れていって、途中からは、「自働的」

な感じで、日帰りで行ける範囲なら、万が一、災害があれば、

逆に、何でいかないの?

みたいになっているから、多分、これは理由には、ならない。

 

少なくとも、誰か一人でも、その人を、幸せに、感じさせる

事が、できたなら、それで、ようやく、意味が生まれるし、

お役御免なのかな、とも。

 

まあ、どうやって、それをすればよいのかも、何も解らないけど。

 

・・・

 

最期に、幾らかでも、話せていたら、自分の荷物も、少しは、

軽くなっただろうし、答えも、見つかったかも、しれないけど、

それすら、運命、という事なのでしょう。

 

・・・

 

この日を、乗り切れるのかな?