いじめについて
・・・
正直、クジラ
問題、そしてまだ書いてないけど、死刑問題、同様に、
容易に解決の、出る問題では、ないのだろうと、思う。
でも(・・・私のブログ
ごときで、何がどうなるものでもないが)、
確かに、生死に関わる問題に、「待った」はない訳で、
ひとまず、「書く」というのも、悪くは、ないのかもしれない。
ということで、ひとまず、記事(数回)が終わるまでは、
反論はおいておいて、おつきあい願いたい。

・・・
一つ、決定的に言える、と思うのは、
私が、なぜ、「いじめ」をこのテーマに、入れ込んだのか、
その理由にも、なることだが、
・・・
そもそも、このテーマ(教育論)、最初に、
「過保護にされているのは、親の方だ」
という、意味あいの、シリーズ記事を書いたように、
まさに、
「いじめ」も、「その原因は、親にある」、
と、いえる。
もちろん、いつもながらに、賛否両論あるのかもしれないが、
子どもを、育てるのも、教育するのも、
その基本は、時代がどう変わろうと、
常に家庭にこそ、あるからだ。
・・・
当然ながら、子育ては、一筋縄で、いくものではないし、
厳格な家庭の子が、必ずしも、「まとも」に育つとも限らない。
また、学生や生徒の自殺数も、確かに1990年以降、
殊に、増えていて、遂には、2011年は、1992年の倍の、
1000人を超えて、しまったそうだが、
1970年代後半には、800人を越えている、時もあったので、
一概に、「今だから」(親が甘やかされているから)、ということも、言えない。
しかし、今は、今の問題があり、それを見据えて、
対処をする、必要があることと、
「昔のいじめは今ほど、陰湿じゃなかった」
と、意味のない「美化」は、何の解決にも、ならないことは、
肝に銘じるべきだろう。
・・・
私自身は、といえば、
いじめる側にも、いじめられる側にも、
その両方の立場に、たったことは、ある。
もっとも、いじめる側に、立っていた時は、
「自分が、いじめたいから」
でも、
「逆らったら、自分が・・・」
というのでも、なく、単に、
「周りに同調して」、というものだった。
ただ、一度、周りに、急かされるまま、
結構なことを、してしまった後、
当然のように、自分の親に、袋叩きにあい、
その子に、謝って以降、
「いじめる側」
に、立ったことはない。
(元々、いじめとは、無関係に、日々、
親からの、袋叩きのような、状態には、あったが、
この時ばかりは、当然ながら、ヤバかった。

・・・
お陰で、「痛い」ということが、本当によく解らない、
「鈍感」に、なってしまったが
)
・・・
逆に、「いじめられる側」に、いた際も、
何せ、私は、その持ち前の頭脳で、うまく切り抜け、
それ程、ひどい状態には、ならないで済んでいた。
(頭脳の話は、冗談として、
何とか、切り抜けていたのは、事実だ。)
だからこそ、よく、芸能人が、
「私も、いじめられた経験はあるけど、
(今は、こんなに頑張って、こんなに有名になって、
こんなに稼いでます。だから)、諦めないで」
みたいなことを、「簡単に」言うことに、
非常に、違和感を感じます。
誰もが、そんなに簡単に、切り抜けられる、訳じゃないし、
結局、「彼ら」は、切り抜けられなかったから、
「死」
を、選んだのだから。
・・・
かの、大震災じゃないけど、
そんなに言うなら、実際に、その都度、
自ら出向いて、
「実際に」
力になってやれば、いい。
想像で、ものを言うのは、
極めて、簡単だが、
極めて、無責任だ。


・・・
正直、クジラ
問題、そしてまだ書いてないけど、死刑問題、同様に、容易に解決の、出る問題では、ないのだろうと、思う。

でも(・・・私のブログ
ごときで、何がどうなるものでもないが)、確かに、生死に関わる問題に、「待った」はない訳で、
ひとまず、「書く」というのも、悪くは、ないのかもしれない。

ということで、ひとまず、記事(数回)が終わるまでは、
反論はおいておいて、おつきあい願いたい。


・・・
一つ、決定的に言える、と思うのは、
私が、なぜ、「いじめ」をこのテーマに、入れ込んだのか、
その理由にも、なることだが、
・・・
そもそも、このテーマ(教育論)、最初に、
「過保護にされているのは、親の方だ」
という、意味あいの、シリーズ記事を書いたように、
まさに、
「いじめ」も、「その原因は、親にある」、
と、いえる。

もちろん、いつもながらに、賛否両論あるのかもしれないが、
子どもを、育てるのも、教育するのも、
その基本は、時代がどう変わろうと、
常に家庭にこそ、あるからだ。

・・・
当然ながら、子育ては、一筋縄で、いくものではないし、
厳格な家庭の子が、必ずしも、「まとも」に育つとも限らない。

また、学生や生徒の自殺数も、確かに1990年以降、
殊に、増えていて、遂には、2011年は、1992年の倍の、
1000人を超えて、しまったそうだが、

1970年代後半には、800人を越えている、時もあったので、
一概に、「今だから」(親が甘やかされているから)、ということも、言えない。

しかし、今は、今の問題があり、それを見据えて、
対処をする、必要があることと、
「昔のいじめは今ほど、陰湿じゃなかった」
と、意味のない「美化」は、何の解決にも、ならないことは、
肝に銘じるべきだろう。

・・・
私自身は、といえば、
いじめる側にも、いじめられる側にも、
その両方の立場に、たったことは、ある。

もっとも、いじめる側に、立っていた時は、
「自分が、いじめたいから」
でも、
「逆らったら、自分が・・・」
というのでも、なく、単に、
「周りに同調して」、というものだった。

ただ、一度、周りに、急かされるまま、
結構なことを、してしまった後、
当然のように、自分の親に、袋叩きにあい、

その子に、謝って以降、

「いじめる側」
に、立ったことはない。
(元々、いじめとは、無関係に、日々、
親からの、袋叩きのような、状態には、あったが、
この時ばかりは、当然ながら、ヤバかった。


・・・
お陰で、「痛い」ということが、本当によく解らない、
「鈍感」に、なってしまったが
)・・・
逆に、「いじめられる側」に、いた際も、
何せ、私は、その持ち前の頭脳で、うまく切り抜け、
それ程、ひどい状態には、ならないで済んでいた。

(頭脳の話は、冗談として、

何とか、切り抜けていたのは、事実だ。)
だからこそ、よく、芸能人が、
「私も、いじめられた経験はあるけど、
(今は、こんなに頑張って、こんなに有名になって、
こんなに稼いでます。だから)、諦めないで」
みたいなことを、「簡単に」言うことに、
非常に、違和感を感じます。

誰もが、そんなに簡単に、切り抜けられる、訳じゃないし、
結局、「彼ら」は、切り抜けられなかったから、
「死」
を、選んだのだから。

・・・
かの、大震災じゃないけど、
そんなに言うなら、実際に、その都度、
自ら出向いて、
「実際に」
力になってやれば、いい。

想像で、ものを言うのは、
極めて、簡単だが、
極めて、無責任だ。

