第1回、2回と、賛成派、反対派、
双方の主張を載せてきましたが、

その一つ一つを、検証します。パー



「捕鯨は文化だ」左右矢印「食文化でも、悪いものは消すべき」

確かに、文化には、様々な顔があり、
色んな面にも通じているので、

文化は文化にとどまらず、
経済にも通じ、言うまでもなく、政治にも通じています。

その意味で、捕鯨くじらが文化であるとの主張は、
何ら問題はないと思います。

ただ、反捕鯨派くじらの主張も、もっともで、

(鯨くじらには、当てはまらないけど)
悪いものは消すべき、なのは、当然です。パー

一方で、そうはいっても、海洋資源に本当に、
影響を与えているのでない限り、
それを強制しようとするのは、

「内政干渉」に他ならず、

主張に、いくら正しい面があるとしても、
影響度の観点から、問題がないのであれば、

内政干渉は、厳に慎むべき、

というのが、筋でしょう。パー


・・・それならば、欧米には、悪しき慣習、悪しき文化は、
一切ないのかはてなマーク、と問いたい。パー
もちろん、鯨の問題そのものについても。パー

仮にそれを指摘された時に、屁理屈で対抗しようとするなら、
同じことではないのかはてなマーク

また、反対派同様に、漁の網を破る、盗撮するなどの、
実力行使をされたならば、どう反応するつもりなのかはてなマーク


・・・
入江に追い込んで・・・の漁の、その方法もだが、
文化には、伝統も含んでいる。パー

しかし、時代とともに、変えるもの、変えてはいけないもの、
その両方があるはず。パー

内政干渉は、許されるべきではないが、
何もないからといって、
「固執」することが、「文化」ではないはず。パー


「捕獲ではなく、虐殺だ」

という、反対派の主張にもある通り、
確かに、素人目には、酷いように映るのも、
仕方ない感じもする、その漁の方法でもあるし、

私自身、見ていて、爽快な気分にはなれない。ショック!


カジキの「突きん棒漁」など、
確かに、伝統的で、迫力があり、残すべき、とも
思えるものもあるが、

その発祥当時に、今と同じ科学が存在したら、
同じ方法をとっただろうかはてなマーク
と考える必要もあると思う。パー


・・・
さて、では、その方法は、

「他と比べて」
本当に残虐かはてなマーク

と考えると、そうとも言い切れない。パー

・・・
例えば、鶏ヒヨコは、逆さに吊るして、首を落とす。

私には、これは十分、残酷に思えるが、
くじらやイルカの漁と比べて、どうか、といわれれば、
「大差ない」としか、思えない。パー

さらに、いずれにしろ、
「食するために」、
する屠殺に、残虐性を感じ、「人道性」を求めるのは、

そもそも間違いであろう。パー

どういう方法を取るにせよ、
その屠殺自体を、正当化する以上、

方法を論じることは、自分自身への、
慰めでしかない。グー

例えば、眠るように屠殺された鶏ヒヨコは、
生きている内に羽をむしられ、
首を落とされた鶏ヒヨコと比べて、

食べられる事に、喜びを感じる、とでも言うのだろうかはてなマーク

方法がどうあれ、そこに「贖罪」の気持ちが、
あるのかどうか、とするならば、

その気持ちがなく、自分を正当化する人間は、
自己満足から、脱することはできないし、

ヒヨコの首を落とす人と、何ら変わりがない。パー


それは、突き詰めれば、菜食主義者も同じことで、
動物の屠殺を、「人道的観点」から、避けて、
野菜食の生活に、「逃げた」としても、

「生あるもの」を、食す事に、変わりがない。パー

野菜はよくて、動物はダメだ、という論理は、
まるで根拠がなく、乱暴な理論だ。ショック!