広野町の町内。
お伝えしたように、千葉県警
の方がこちらにも来てくださってますが、
母に様子を伝えたのには、
「旭の震災直後と同じような感じ」
と説明していたそうで、
まさに私も同感でした。
しかし、決定的に違うのは、旭市はこの状態が長くても2か月程度だったのに対し、
広野町では、半年も過ぎたこの時期に及んでも、この通り、いまだ手つかずの状態。
原発
から30数kmくらいの地点ですから、
どうしても放射線量
の問題があるから、というのも解らなくはないですが、
放置をすればするほど復旧復興も遅れるので、
行政には意を決して、作業を進めてほしいと思います。
ましてや、ここ広野町はまだ人の出入りができるものの、
楢葉町以北の町は、立ち入りすら自由にできないわけですから、
今後を考えただけでも胸が締め付けられます。
・・・
取り壊しをしない家
もあるだろうし、
取り壊すにしても、家財道具などの搬出は行わなければならないわけで、
このままではいつになるのやら・・・
見てお解りの通り、世の復興ムードにはあえて多少は、水を差さなければなりません。
復旧すらできていない地域がまだまだあるのだということを忘れないでいただきたい。
このまま「復興」を進めていくと、なおさら格差が広がる一方です。
もちろん、遊び歩いたり、飲み歩いたり…も経済
を回すためには必要な事なので、
文句は言わないどころか、むしろ歓迎ですが、
こうしたことを頭の片隅にでもおいてもらえれば、ありがたいです。
この3枚の川の写真
ですが、1枚目の奥の方に見えるのは、橋の復旧工事です。
これを踏まえても、放射線量
の為に家屋
の方の復旧作業ができないという理由にはならないので、
我々ボランティアが普通に入れるようにしたりなど、早急な措置を講じてほしいものです。
2枚目の写真
の家屋
は数百mも流されたうえでこの状態です。
この家屋
も、「元はここにあった」など、聞かなければ解らないことはたくさんあります。
私も言うほど福島のことが解るわけではないので、やはり知らない部分、地域は、
イメージでしか考えられません。
なので、結局は断片的な情報をいろんなニュースソースをかき集めて作り上げたりもしてますが、
やはり実際に目にしたり、地元の人の話を聞くには及びません。
それでも、知らぬ存ぜぬでは済まされないし、どんな小さなことでも伝え続けなければならない。
私のように、こうした、暗く感じられ、重く感じられるテーマを正面から書く者もいれば、
あえて明るい話題に絞って書いて、心のサポートをしようとする者もいたり、
方法論的には様々な形はあるでしょうけど、
いずれにしても、避けたり逃げたりしているだけでは、何も始まりません。
もちろん、これだけの被害ですから、心が落ち着くまでには、相当長い年月がかかるでしょう。
その間は焦らずゆっくり構えてほしい。
でも、被災者にも、いつかは「自分たちが」復興させるんだ、
との気持ちだけはあきらめずに、忘れないで貰いたいし、
周りのサポートする者にも、すぐに手をつけたほうが良いものを除いては、
性急に事をおこそうとは、なるべくしないで貰いたい。
それが仮に楽しいものであっても、その時が過ぎれば、
仮設住宅
に戻るという現実が待っているんです。
そのギャップは、ときに本人にも気づかない負担となっていることもあります。
先日もあった、「緊急地震速報」にも「当時」の思いがよみがえって、いまだに辛い感覚になる人ばかり。
それほど甘くない現実がここにはありますよ。
彼らのペースに合わせて、サポートし「続け」ましょう。
・・・
広野町も原発
作業関係者以外には、人の気配はあまりなかったです。
野田総理が「福島の再生なくして・・・」といってましたが、
私には、福島というより、いまだ手の付けられていない、この広野町を含め、
楢葉町、双葉町、大熊町、浪江町などが元に戻らなければ、その福島の再生すらないと思っています。
皆、地元を愛する人たちばかり。
周りがいくら理論的に、机上で考えて助言をしようとも、
やはりその感覚はそこに住む人にしか解らない。
その気持ちは大事にしたい。
だから、その彼らが安心して戻れる日を、1日でも早く作りたいし、そうしなければならないでしょう。
皆が少しずつ、できる限りで。
ドラゴンボール
の「元気玉」と同じ理屈ですね・・・って、解るかな?
ま、わずかな力も集まれば大きい力になるってことですよ。
さあ、まだまだ眠っているパワーを引き起こしましょう。
お伝えしたように、千葉県警
の方がこちらにも来てくださってますが、母に様子を伝えたのには、
「旭の震災直後と同じような感じ」
と説明していたそうで、
まさに私も同感でした。

しかし、決定的に違うのは、旭市はこの状態が長くても2か月程度だったのに対し、
広野町では、半年も過ぎたこの時期に及んでも、この通り、いまだ手つかずの状態。

原発
から30数kmくらいの地点ですから、どうしても放射線量
の問題があるから、というのも解らなくはないですが、放置をすればするほど復旧復興も遅れるので、
行政には意を決して、作業を進めてほしいと思います。

ましてや、ここ広野町はまだ人の出入りができるものの、
楢葉町以北の町は、立ち入りすら自由にできないわけですから、
今後を考えただけでも胸が締め付けられます。

・・・
取り壊しをしない家
もあるだろうし、取り壊すにしても、家財道具などの搬出は行わなければならないわけで、
このままではいつになるのやら・・・

見てお解りの通り、世の復興ムードにはあえて多少は、水を差さなければなりません。

復旧すらできていない地域がまだまだあるのだということを忘れないでいただきたい。

このまま「復興」を進めていくと、なおさら格差が広がる一方です。

もちろん、遊び歩いたり、飲み歩いたり…も経済
を回すためには必要な事なので、文句は言わないどころか、むしろ歓迎ですが、
こうしたことを頭の片隅にでもおいてもらえれば、ありがたいです。

この3枚の川の写真
ですが、1枚目の奥の方に見えるのは、橋の復旧工事です。これを踏まえても、放射線量
の為に家屋
の方の復旧作業ができないという理由にはならないので、我々ボランティアが普通に入れるようにしたりなど、早急な措置を講じてほしいものです。

2枚目の写真
の家屋
は数百mも流されたうえでこの状態です。
この家屋
も、「元はここにあった」など、聞かなければ解らないことはたくさんあります。私も言うほど福島のことが解るわけではないので、やはり知らない部分、地域は、
イメージでしか考えられません。

なので、結局は断片的な情報をいろんなニュースソースをかき集めて作り上げたりもしてますが、
やはり実際に目にしたり、地元の人の話を聞くには及びません。
それでも、知らぬ存ぜぬでは済まされないし、どんな小さなことでも伝え続けなければならない。

私のように、こうした、暗く感じられ、重く感じられるテーマを正面から書く者もいれば、
あえて明るい話題に絞って書いて、心のサポートをしようとする者もいたり、
方法論的には様々な形はあるでしょうけど、
いずれにしても、避けたり逃げたりしているだけでは、何も始まりません。

もちろん、これだけの被害ですから、心が落ち着くまでには、相当長い年月がかかるでしょう。
その間は焦らずゆっくり構えてほしい。

でも、被災者にも、いつかは「自分たちが」復興させるんだ、
との気持ちだけはあきらめずに、忘れないで貰いたいし、
周りのサポートする者にも、すぐに手をつけたほうが良いものを除いては、
性急に事をおこそうとは、なるべくしないで貰いたい。

それが仮に楽しいものであっても、その時が過ぎれば、
仮設住宅
に戻るという現実が待っているんです。
そのギャップは、ときに本人にも気づかない負担となっていることもあります。

先日もあった、「緊急地震速報」にも「当時」の思いがよみがえって、いまだに辛い感覚になる人ばかり。

それほど甘くない現実がここにはありますよ。

彼らのペースに合わせて、サポートし「続け」ましょう。

・・・
広野町も原発
作業関係者以外には、人の気配はあまりなかったです。
野田総理が「福島の再生なくして・・・」といってましたが、
私には、福島というより、いまだ手の付けられていない、この広野町を含め、
楢葉町、双葉町、大熊町、浪江町などが元に戻らなければ、その福島の再生すらないと思っています。

皆、地元を愛する人たちばかり。
周りがいくら理論的に、机上で考えて助言をしようとも、
やはりその感覚はそこに住む人にしか解らない。

その気持ちは大事にしたい。

だから、その彼らが安心して戻れる日を、1日でも早く作りたいし、そうしなければならないでしょう。

皆が少しずつ、できる限りで。

ドラゴンボール
の「元気玉」と同じ理屈ですね・・・って、解るかな?
ま、わずかな力も集まれば大きい力になるってことですよ。

さあ、まだまだ眠っているパワーを引き起こしましょう。
