いったい、どうしたらよいのでしょう?
というより、結論はすでに決まっています。
・・・どうしたら、皆が原発廃止
の方向に向いてくれるのでしょうか?
ということです。
原発
を管理する新組織の立ち上げを現在行っている最中のようですが、
原子力安全庁
として、(名称なんてどうでもよいが)
環境省の外局として位置付ける方向で固まってはいるようです。
しかし、安全保安院
と安全委員会
がどうの、という
今までの山積みの問題の解決には程遠く、
単に一つにまとめただけの話で、
そもそも、なぜ完全独立組織にできないのか、はたまた、しようとしないのか?
まったく理解に苦しみますね。
そもそも、脱原発
、減原発
の方向で今後の政策を進めていくはずではなかったのか?
それならなおさらだし、
それが「個人的見解」として逃げたにせよ、
ひとたび事故が起きれば、この通り大惨事になるわけだから、
独立組織でなければ、機能しないのは明らかでしょう。
原子力損害賠償紛争審査会
にしても、
原発技術
の輸出問題にしても、
まったなしの行動が求められる中で、
国会、行政の遅々たる判断では、逆に被害が広がる一方。
これだけの許しがたい人災を重ねて、まだ利権にこだわろうというのか?
重ね重ね、いい加減にしてほしいものです。


・・・
ところが、いい加減にしてほしいのは、議員ばかりでなく、
民間も、のようで・・・
皆さんすでにご承知の通り、
東海テレビ
の放送事故。(事故ではなく、もはや事件でしょう
)
プレゼントとしてのお米の字幕を出す際に、
「汚染されたお米、セシウムさん」と表示。
即座に謝罪会見を開いたわけですが、
「リハーサルで、ふざけたノリで書いたものをそのまま出してしまった」との言に、
なおさら私はひとりキレてました。


つまりは、震災に対してその程度の意識しかない、自分は被災者でないから関係ない・・・
と言っているも同然だからです。
冗談じゃない。


新潟の豪雨
で堤防の決壊を防ぐために、
自ら手塩にかけた田んぼを提供した農家の方のお話を以前、書きましたが、
どんな思いでその米が作られ、
どんな思いでその米を捨てているのか、
1秒でも考えたことがあるのか?
なんでこんな世の中になってしまったのか?
人を思いやれない、さみしい世の中ですよ。

・・・
それには、教育論のテーマで書いていることも関係すると思うけど、
父親よりも、特に母親が、どうしてここまで成り下がってしまったのか?
母は強し
という言葉は、私には正しいと思えます。
出産時のあの痛みは、我々男では耐えられない
とも、よく言われます。
・・・(よくはないけど)それがそうだとするなら、男が子どもに正面からぶつかれない、
情けないものだというのは、解るとしても、
なぜ、母親までが、「友達」親子を目標にしているのか?
「友達」はあくまで「友達」。
だからこそ、昔の母親は身を呈して、いざというときに子どもを守っていたものが、
今の母親はそれができなくなっているのでしょう。
(もちろん、中にはきちんとした女性もいますが、
少なくとも私の見てきた中では、皆無に近いですね
)
この原子力
にかかわらず、何においても、影響を受けやすいのは、
いつだって、子どもと老人。
老人は自分の意思決定もできるが、子どもはそうはいかない。
だからこそ、今世間では必死に子どもを守ろうと奔走「だけ」をしているわけでしょうけど、
そこに、「本当の」愛はあるのか?と問いたい。
もし、本当にそうだ、と反論するならば、もっと大きい行動を起せるはずではないですか?
国を動かすほどの。
それこそが、母親「だけ」に許された権利なのですから。
今日は、言わずもがな、8/6です。

(余談ながら、私はヒロシマ、フクシマとカタカナで書くのが大嫌いです。
何か、それだけで、広島自体、福島自体が何かをしでかしたかのように聞こえるから。
「グラウンドゼロ(マイナス)」も含めて、ただのマスコミの格好つけでしかないでしょう?
)
いまだに、原子力
の平和的利用の是非を問題にして、
どうにかして、原子力
の火を消さないようにしている連中がいる。
確かに、原子力
は金のなる木でしょう。
今度は汚染された土を除染できるとして、
粉末状の「バーミキュライト」なる物質や、粘土が功を奏しているなどの報道もあるとおり、
ここ、除染に至っても利権が発生するわけです。
もう、「いまだけ」の身勝手はうんざりです。

いまだに広島の被爆者
、その子孫たちが苦しんでいるのを、
なぜきちんと受け止めようとしないのか?
「一気に」と「徐々に」の違いはあるかもしれないが、
この先、福島でも今後いつ終わるともしれない
放射線
の不安と共存していかなければならないのです。
(比較的近い、ここ千葉でもある程度は同じことですが
)
いつまでも先延ばしにしてよい議題ではないはずです。
「子ども手当」
だか「児童手当」
だか、
くだらないことにこだわって遊んでいるだけの自民党連中は、
頭を冷やして、自らが政権与党として推し進めてきた、原発
の推進を、
正面から向き合って、見直し、もっと世に訴えていくべき時なのですよ。
お砂場遊びの時間は、もう終わりなんです。


というより、結論はすでに決まっています。

・・・どうしたら、皆が原発廃止
の方向に向いてくれるのでしょうか?ということです。

原発
を管理する新組織の立ち上げを現在行っている最中のようですが、原子力安全庁
として、(名称なんてどうでもよいが)環境省の外局として位置付ける方向で固まってはいるようです。

しかし、安全保安院
と安全委員会
がどうの、という今までの山積みの問題の解決には程遠く、
単に一つにまとめただけの話で、
そもそも、なぜ完全独立組織にできないのか、はたまた、しようとしないのか?

まったく理解に苦しみますね。

そもそも、脱原発
、減原発
の方向で今後の政策を進めていくはずではなかったのか?
それならなおさらだし、
それが「個人的見解」として逃げたにせよ、
ひとたび事故が起きれば、この通り大惨事になるわけだから、

独立組織でなければ、機能しないのは明らかでしょう。

原子力損害賠償紛争審査会
にしても、原発技術
の輸出問題にしても、まったなしの行動が求められる中で、
国会、行政の遅々たる判断では、逆に被害が広がる一方。

これだけの許しがたい人災を重ねて、まだ利権にこだわろうというのか?

重ね重ね、いい加減にしてほしいものです。



・・・
ところが、いい加減にしてほしいのは、議員ばかりでなく、
民間も、のようで・・・

皆さんすでにご承知の通り、
東海テレビ
の放送事故。(事故ではなく、もはや事件でしょう
)プレゼントとしてのお米の字幕を出す際に、
「汚染されたお米、セシウムさん」と表示。

即座に謝罪会見を開いたわけですが、
「リハーサルで、ふざけたノリで書いたものをそのまま出してしまった」との言に、
なおさら私はひとりキレてました。



つまりは、震災に対してその程度の意識しかない、自分は被災者でないから関係ない・・・
と言っているも同然だからです。

冗談じゃない。



新潟の豪雨
で堤防の決壊を防ぐために、自ら手塩にかけた田んぼを提供した農家の方のお話を以前、書きましたが、
どんな思いでその米が作られ、
どんな思いでその米を捨てているのか、
1秒でも考えたことがあるのか?

なんでこんな世の中になってしまったのか?

人を思いやれない、さみしい世の中ですよ。


・・・
それには、教育論のテーマで書いていることも関係すると思うけど、
父親よりも、特に母親が、どうしてここまで成り下がってしまったのか?

母は強し
という言葉は、私には正しいと思えます。

出産時のあの痛みは、我々男では耐えられない
とも、よく言われます。・・・(よくはないけど)それがそうだとするなら、男が子どもに正面からぶつかれない、
情けないものだというのは、解るとしても、
なぜ、母親までが、「友達」親子を目標にしているのか?

「友達」はあくまで「友達」。
だからこそ、昔の母親は身を呈して、いざというときに子どもを守っていたものが、
今の母親はそれができなくなっているのでしょう。

(もちろん、中にはきちんとした女性もいますが、
少なくとも私の見てきた中では、皆無に近いですね
)この原子力
にかかわらず、何においても、影響を受けやすいのは、いつだって、子どもと老人。

老人は自分の意思決定もできるが、子どもはそうはいかない。

だからこそ、今世間では必死に子どもを守ろうと奔走「だけ」をしているわけでしょうけど、
そこに、「本当の」愛はあるのか?と問いたい。

もし、本当にそうだ、と反論するならば、もっと大きい行動を起せるはずではないですか?
国を動かすほどの。
それこそが、母親「だけ」に許された権利なのですから。

今日は、言わずもがな、8/6です。


(余談ながら、私はヒロシマ、フクシマとカタカナで書くのが大嫌いです。

何か、それだけで、広島自体、福島自体が何かをしでかしたかのように聞こえるから。

「グラウンドゼロ(マイナス)」も含めて、ただのマスコミの格好つけでしかないでしょう?

)いまだに、原子力
の平和的利用の是非を問題にして、どうにかして、原子力
の火を消さないようにしている連中がいる。
確かに、原子力
は金のなる木でしょう。今度は汚染された土を除染できるとして、
粉末状の「バーミキュライト」なる物質や、粘土が功を奏しているなどの報道もあるとおり、
ここ、除染に至っても利権が発生するわけです。

もう、「いまだけ」の身勝手はうんざりです。


いまだに広島の被爆者
、その子孫たちが苦しんでいるのを、なぜきちんと受け止めようとしないのか?

「一気に」と「徐々に」の違いはあるかもしれないが、
この先、福島でも今後いつ終わるともしれない
放射線
の不安と共存していかなければならないのです。
(比較的近い、ここ千葉でもある程度は同じことですが
)いつまでも先延ばしにしてよい議題ではないはずです。

「子ども手当」
だか「児童手当」
だか、くだらないことにこだわって遊んでいるだけの自民党連中は、
頭を冷やして、自らが政権与党として推し進めてきた、原発
の推進を、正面から向き合って、見直し、もっと世に訴えていくべき時なのですよ。

お砂場遊びの時間は、もう終わりなんです。

