シアトルのダウンタウンで、車のディーラーの職に就くザックは、今日も上司に怒鳴られていた。
『お前は今日でクビだ!いい加減にしろ、バカ』
『だってN.ポートマンそっくりだったんだから・・』
『だからといって半額はないだろが!そんな事してたら、我が社は倒産しちまうよ』
『じゃぁ、あなたは誰のファンですか?』
『C.ディアス・・』
『もしC.ディアスが来店して、あの車を欲しいって言えば?』
『もちろんタダにするに決まってんだろ!』
『でしょ!?』
その夕方、いつもよく行く花屋で、花束を購入したザックに店員の内気な女性が、パンジーを手渡してきた。
『何だよあの娘は!いつも頼んでもないのにパンジーを付けてくれる・・。変な娘だな、まったく』
そして1時間後、待ち合わせ場所であるキャピタルヒルの雑貨屋の前では、デ―ト時間に大幅に遅れたザックが、相手の女性からの痛烈なビンタの洗礼を受けていた。
『これでフラれた女は12人目か。会社では毎日、上司に怒鳴られるし、金も無ければ夢もない!何やってもうまくいかない。俺なんて生きている意味あるのかな・・』
一見、陽気そうにみえるザックだが、帰還兵という事で大きな悩みを抱えていた。未だ戦争での悪夢にうなされ、PTSD(心的外傷ストレス障害)に陥っていたのだ・・。
数週間後の休日。月に三度、通院している診療所へ行くと、医師からあるチケットを渡された。
『たまには気晴らしに、そこへ行ってみなさい!大人の遊園地だ。君の為になるはずだよ』
その夜、恐る恐るその遊園地の前までやって来たザック。入口には<ドリーム ムーンランド>と書かれたネオンの看板が点滅をしている。実に奇妙だ。というのも開園は深夜0時からなのである・・。
『ようこそ!我が夢の国へ』園内に一歩足を踏み入れたザック。見渡したところ、彼の他には人の気配などない。しかも様々な動物のキャラクター達が、次々と彼に声をかけてくるのだ。
そこは遊園地というより、<お伽の国>といった方がマッチしていた。
戸惑いを隠し切れないザック。すると一匹の妖精のような小人が、こんな事を言い出してきた。
『君はいつまでもここにいていいんだよ。ここはアメリカから独立した夢の国なんだ。戦争もなければ、仕事もない!食料だってあそこに森や川が見えるだろ?自給自足でマイペースに暮らしていけばいいって事さ。悩み事も無ければ、明日の心配さえない。だから君は一生、ハッピーでいられる。どう?楽しそうだろ?』
ザックは狐につままれたような衝動にかられた。そして中央に聳え立つ茜色に光る城は、月をさえぎるかの様に、魔性の灯をともし出していた・・。
時計も人も無い世界。一体、あれからどれ程の月日が過ぎ去ったのだろう?そんな生活にもやっと慣れ始めた頃、彼は妖精達にこんな質問をぶつけてみた。
『一つ聞きたいんだけど、僕はこの先、歳をとらないのかい?』
するとクスクスと妖精達が笑い出した。
『当たり前だよ!死ぬ事もないし,永遠にここで楽しく暮らしていけるのだから』
それを聞いたザックは背筋が凍る想いにかりたたれた。こんな恐怖は戦争でも味わった事がないのだ・・。そして急に怖気づいた彼は叫んだ。
『こんな場所は嫌だ!人生は一度きりだから美しいんだ。上司に怒られたって、恋人にフラれたって、まだ苦しんだり悩んだりしてる方がマシだよ。僕をここから出してくれ!こんなのハッピーじゃないよ!早くここから・・』
翌朝、シアトル郊外の駐車場の車の中で目が覚めたザック。辺りを見渡すと森や川が流れているだけで、遊園地など影すらもなかった。
『僕の症状はいよいよ、末期まできてるな・・』
そう言い残すと、彼はゆっくりとアクセルをふかせた。
数日後のダウンタウン。『おい!クビになりたいのか?』
いつもの如く、仕事でヘマをやらかしたザックはその夕方、いつもの如く花屋で花束を購入しようとした。するといつもの如く店員の女性が、パンジーを手渡し、そしていつもの如く首を傾げてその店を出た。
数メートル歩いたザックは、偶然にも仲の良い女友達と出くわし、立ち話ついでにふと、こんな質問を彼女に問いかけてみた。
『あの店の店員の女の子、ちょっとイカれてるぜ!いつも頼んでもないのに、この花を付けてくれるんだ。一体、どういう事だと思う?』
女友達は答えた。
『あんたバカじゃないの?′パンジー′の花言葉は<私の事を想ってください>じゃない!?欧州じゃバレンタイン・デーに渡す花で常識よ!もしかしてそんな事も知らなかったの?』振り返ると、恥ずかしそうにこちらを見つめている一人の女性の姿があった。
『あの娘、よく見ると結構可愛いな!なぜ今まで気付かなかったんだろう?』
10年経った今でも、あの日の夜空に浮かぶ月の美しさと、愛くるしい目で、こっちを見つめていた妻のあの笑顔だけは忘れられない・・。
