栃の山 断髪式
5月1日、突然の引退発表と世話人就任。
前々から小耳に挟んではいましたが、本当に急なことで驚きました。
次の日にメールをすると栃の山さんから電話を頂きました。
夏場所に向けての朝稽古を終えたある日の朝、親方に呼ばれて
言われた「理事長から世話人の話しが来てる。考えてみるか?」
一瞬何のことか分からず「考えさせてください」と答えたものの
チャンスは待っていてもやって来ない。自分で決めて掴みに行かねば。
元十両で世話人だった乾龍さんが1月に定年退職、同じく元前頭王湖さんの
急逝で空きが2つ出たこと、次に年長の總登さんのご定年を待っていたら
7年後になってしまうことなど、いろいろ考えたことでしょう。
改めて師匠の前へ赴き「宜しくお願いします」と、4月30日付で協会に
引退届を提出・受理され、世話人となったそうです。
本人のブログに詳細があります。
【現役力士・栃の山 七転八倒日記】
http://ameblo.jp/tochinoyama/entry-11525422474.html
案内状を頂き、断髪式に行ってまいりました。
断髪式当日のお昼過ぎに、台東区にある千賀ノ浦部屋へ。
1階のちゃんこ場に行くとちょうど髷を結っているところでした。
いつも柔らかい物腰で、おだやかに話す栃の山さんですが
この日はいつも以上に柔らかな表情でした。
部屋の床山、床千が手際よく髷を整えていきます。
大銀杏を結うところなんてなかなか見れないので、
しばし見学させてもらいました。
部屋に顔を出して下さった後援会の方と談笑した後
少しすると栃の山さんが目を閉じていました。
「前に大銀杏を結った時のこと思い出してるん?」と聞くと
「ん~・・・うん。6年ぐらい前だったっすかね?あのときは2勝4敗と
負越してからの7番目の相撲だったんで消化試合みたいなもんで」
少し笑顔を浮かべて、懐かしそうに話します。
「濱ノ嶋関と3-3で当たった時は緊張したでしょ」
「そうっすね。あの時は、本当に緊張したなぁ」
平成13年の秋場所、西幕下2枚目で3勝3敗。
最後の相撲に勝てば十両昇進を掴めるはずだった。
相手は4勝10敗と不調だった濱ノ嶋関。
残念ながら栃の山は突き倒しに敗れ、関取の夢は叶いませんでした。
「相撲の前はいつも緊張してましたよ。けど、今は・・・」
勝負の世界から身を引いた栃の山さんの表情は
とても穏やかでした。
「未練が無いと言えば嘘になるけど、大好きな相撲の世界に
残れるので良かったです。世間知らずなんで1から勉強です。」
夏場所前に電話で話した時、しっかりとした口調で話してくれました。
******************************************************
15時過ぎに部屋を出て、一緒に車に乗り込み会場に向かいました。
出席者は約300人。盛大な断髪式です。
開場前には多くの人が受付前に溢れていました。
17時過ぎに元NHKの緒方喜治さんの司会進行で始まりました。
壇上に千賀ノ浦親方と栃の山さんが上がります。
後援会長から始まり、栃の山の母校である拓殖大学の相撲部からは
OB会長と監督(舛田監督は親方の実弟)が鋏を入れ、その後約130名が
50音順に壇上に上がります。
断髪式の出席者には、元春日野部屋の面々もいらっしゃいました。
竹縄親方(石川県七尾市・春日野部屋付・元関脇栃乃洋)
二十山親方(岩手県久慈市・春日野部屋付・元小結栃乃花)
清見潟親方(佐賀県佐賀市・春日野部屋付・元前頭栃栄)
元栃神山(春日野部屋→引退後千賀ノ浦部屋・最高位序二段)の神さん
他にも
甲山親方(京都府京都市西京区・伊勢ノ海部屋付・元前頭大碇)
元前頭の若孜(松ヶ根部屋)の中尾さん(都内で飲食店経営)、
床泉さん(東関・三等床山)や、立川錬成館の後輩にあたる
濱栄光(東京都立川市・尾上)さんも出席されていました。
一般の出席者が終わると、栃の山さんのご両親とお姉さん、
妹さんが鋏を入れます。
(自分はこの時、控室で写真のプリントアウトに追われていたので見れてません。)
ご親族が終わると部屋の力士が順に鋏を入れ、おかみさんのあとに
いよいよ師匠の止めばさみです。
ずっと撮影していた部屋の支援者に聞くと号泣だったそうです。
そりゃそうでしょう。
人生の4分の3を相撲ひと筋に歩んできたんですから。
約2時間かかって断髪が終わり、陸奥部屋の勇輝さんを交えて
相撲甚句が披露され、19時過ぎに整髪をした栃の山さんが再登場です。
大きな拍手に迎えられ、壇上に上がった栃の山さんは緊張気味。
緒方さんに促され、挨拶をします。
「本日はお忙しい中、断髪式にご出席を頂き・・・」
何度も言葉に詰まります。
少し目に光るものもあったでしょうか。。。
「世話人は定年(65歳)まで相撲界にいられますので、これからも
稽古場に下りて、部屋の若い衆に胸を出して、野球で言うところの
バッティングピッチャーのような役割で、頑張って1日も早く舛ノ山関に
続く関取を育てたいと思っています。これからも宜しくお願い致します」
うまいこと言います。感動しました。会場も大喝采の挨拶でした。
その後、妹さんと姪っこちゃんから花束の贈呈です。
花を渡すとすぐに『バイバ~イ』をされて栃の山さんも苦笑い。
=====================================
さぁ、宴もたけなわ。若い衆のカラオケが始まりました。
千賀ノ浦部屋の宴会部長、大志(兵庫県佐用郡佐用町出身)が
吉幾三さんの「俺ら東京さ行くだ」を熱唱。
若手のホープ舛ノ勝は高音に大苦戦しながらも歌い切りましたが
照れくさいのか「暑い暑い」と汗だくで会場の外に出てました。
もう一人のホープ、未来の米びつ齊心は顔に似合わず(?)高音も楽々と
山口百恵さんの「いい日旅立ち」を唄いました。いや~上手かった。
そしてラストは舛ノ山関。NHK福祉大相撲でも披露した
尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」を唄いました。
舛ノ山関は写真撮影にも丁寧に応じ、出席者にもニコニコと笑顔で
接していました。部屋で唯一の関取なので、お客さんの対応が集中
しますが、ずっと会場内のテーブルをまわり、気遣いもできる
素晴らしい力士です。
ほどなくして3本締めにて20時ごろ断髪式は終了。
素晴らしい断髪式でした。
部屋の最年少、矢ヶ部と真裟刃はお土産と断髪の写真を
お客さんに渡すために控室と会場の間を走り回っていました。
会場の入り口では親方とおかみさん、栃の山さんと舛ノ山関が
お客さんのお見送りです。
親方にとっては、大学の後輩でもある栃の山さん。
春日野部屋から独立した時に、一緒に連れてきた一番弟子です。
今日の断髪式には親方も特別な思いがあったことと察します。
師匠と弟子からこれからは、部屋を運営する大切な片腕となる事でしょう。
最後になりましたが、栃の山さんお疲れ様でした。これからは
相撲界で培った経験を活かして、ますますご活躍ください。